小野八幡神社

神戸市中央区八幡通4-1-37 (平成25年12月6日)

東経135度11分59.78秒、北緯34度41分12.55秒に鎮座。

この神社は、阪神電鉄・三宮駅の南南東500m程の辺り、神戸のど真ん中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇

当社の祭神は応神天皇。仁和3年の創祀である。寛平年間には神前に生ずる七草を採って宮中に献上している。
この地は古来月見の名所として知られ、幾多の大宮人が足をとどめて、或は月を賞で、或は草を摘んで遊んだことが、千載集・夫木集・新古今集などの和歌集に見られる。近くは明示維新の頃、勝海舟がこの地(当時は神戸村小野浜)に神戸海軍操練所を開設し、海外発展と旧海軍創設の基礎をつくったことで知られる。いま附近(旧商工会議所前)に「史跡旧海軍操練所跡」の碑が建っている。
当社には古来、武将に関する史実が多く伝わっているが、特に江戸時代、讃岐の高松城主松平頼常が江戸への参勤交代の途次に、当社に参拝して道中の無事安全を祈願し、予定どおり江戸に着き、大任を果し終えて後に、感謝をあらわして当社に寄せた書状一葉がいま社宝として残っている。
またこの霊験顕著な故事が広く知られて、現在では自動車交通安全厄除祈願の特殊信仰をあつめている。
当社は終戦の年に神戸空襲で社殿等が戦災に遭ったが、順次復旧して現状を見るに至った。またかつて天覧を賜った当社の重宝「湊川生田川間絵図」その他の古記のほとんどが疎開によって火難から免れ得たことは、不幸中の幸いであった。旧郷社。

小野八幡神社(河原兄弟)
小野八幡神社は、光孝天皇の仁和3年(887)の創建。その後、源平一ノ谷合戦の東城戸の戦いで先駆けして討ち死にした源氏の河原太郎高直と次郎盛直兄弟の功を賞して、報恩寺を建てた源頼朝がこの社を鎮守したと謂われています。もとは大丸百貨店の北側にありました。河原兄弟の史跡は、この他に三宮神社に「河原霊社」と追谷墓園内に「河原兄弟の墓」があります。
境内由緒書き より

由 緒
仁和3年(887)秋、平安時代の創祀。
寛平年間(889〜)、神前の七草を宮中に献上。源平合戦後、源頼朝はこの地に河原太郎、次郎兄弟の功を賞し、報恩寺を建て当神社を寺の鎮守とした。江戸時代、讃岐高松城主、松平頼常は、参勤交代の折道中安全を祈願し、成就しその霊験のあった故事が広く知られる。現在は自動車をはじめとする交通安全厄除祈願が有名で信仰を集めている。
境内には白玉国高稲荷神社・巳神社・金刀比羅神社という末社があり特に巳神社は白龍さんが祀られている。この白蛇は人と人との出会いを叶えさせてくれると信仰されている。長年行方不明になっていた息子が、連絡船乗り場の大時計を見上げた時、母親の顔がうつり、電話をしなければと直感し、母親は巳神社でお参りを済ませて帰宅し、玄関の戸を開けた途端に電話のベルが鳴り、願いが叶い二人は再会出来たとの実話を本人から聞いている。
兵庫県神社庁公式サイト より

神社入口

参道

手水石

拝殿

戦後の混乱が収まったとはいえないこの頃良く是だけの狛犬が出来たと感服。拡大写真はこちら。
(昭和25年(1950)8月吉日建立)

拝殿内部

本殿


白玉國稲荷神社
巳神社

金刀比羅神社