射楯兵主(いだてひょうず)神社

姫路市総社本町190 (平成14年10月5日)

 この神社は播磨の国の総社ですが、始め、射楯神と兵主神は別々の場所で別々にお祀りされていたのを、この地に合祀されたようです。

境内から見た参道の様子

神門

              拝殿
このご婦人は私達の参拝中ずっと祈り続けていらっしゃいました。

由緒より
 播磨国の総社である。兵主神に射楯神を合祀し、また播磨国174座を一括して合祀している。国司が赴任すると地元の神にお参りする慣わしがあり、これは大変な労力と財政的負担であった。逆に地域の神社をまとめて総社として、負担を軽くしたのである。いにしえの行財政改革である。
 「播磨国風土記」餝磨郡因達里の条に”因達”の説明として、息長帯比売命が韓国を平定しようと渡海された時、「御船前(みふねさき)・先導神の伊太氏の神がここにおいでになる。よって神の名を里の名にした」とある。「風土記」の伊和里の条に「因達の神山」の名もあり、八丈岩山とされている。
 社記によれば、射楯神は欽明天皇二十五年に伊和里の水尾山(姫路市山野井町)に祀られたが、延暦六(787)年に坂上田村麿によって兵主神を小野江に遷し、後に射楯神を合祀したのが創祀とする。