英賀(あが)神社

姫路市飾磨区英賀町(平成14年10月5日)

 ご祭神が英賀彦神、英賀姫神という聞き慣れない名の産土神
ですが、創業、開発の神、縁結びの神として崇められていた
ようです。

神社入り口

境内と拝殿

多数の額が架かる拝殿軒下

拝殿正面

拝殿内部

本殿

播磨国風土記に英賀彦、英賀姫の二神が播磨灘沿岸地域を開いた記録があり、その創建は神話時代にさかのぼるそうだ。
『播磨国風土記』餝磨郡・英賀の里(しかま あが)の条に「伊和大神のみ子の阿賀比古・阿賀比売の二はしらの神がその処に鎮座しておいでになる。」と記されているのがこの神々である。
当社は国史見在社にして、播磨国風土記によれば、713年に伊和大神の御子英賀彦神.英賀姫神は、祖神の命により当地を本拠として播磨灘沿岸地域を開拓創始し、庶民安堵の国土を修理固め成された総産土大神であります。ゆえに古くより英賀国主大神として祀り、元慶5年(881年)神位従5位下に昇叙され、国司武将を始め衆庶は、創業開発の神、縁結びの神と仰ぎ尊信の誠を捧げました。三木通近が英賀城主となり、領内発展の興隆にあたり、嘉吉3年(1443年)天満天神.八幡天神.春日天神を勧請鎮祭して、領内の総氏神とあがめ、大いに治績を挙げ播陽の重鎮となった。以来歴代の城主は、祭祝盛儀を尽くし、社殿は荘厳華麗を極めました。天正8年2月(1580年)、羽柴秀吉は英賀城攻略に際し、特に当社に除火の令を出して敬神の誠を致した。かかる由緒ある神社のため、明治4年社格制定に当たり郷社に列せられ、同13年県社に昇格した。その後、氏子並びに崇敬者は古来の歴史と伝統を護持して現在に至りました。(神社前看板:姫路市教育委員会)