赤淵神社

朝来市和田山町枚田上山2115(平成20年8月30日)

東経134度50分43.74秒、北緯35度19分26.14秒に鎮座。

 この神社は和田山ICの北約1.6kmに鎮座しています。
 104号線沿いに真新しい「縣社赤渕神社」の社号標が立っていますが、神社入口はそこから約300mほど西にあり、遠くから見える豊かな鎮守の杜を目当てにして行くと良いでしょう。
 社頭には明神鳥居の横に自然石で出来た「式内赤渕神社」の社号標が建ち、歩きやすい石段を上がっていくと、白塀と楼門が見えてきます。
 ここが境内の入口で、二階建ての楼門には龍の彫刻や狛犬と象の木鼻など動きのある素敵な彫刻が施されています。楼門から先も更に石段が続き、神門を潜ると明るい開けた境内となり、左には土俵が設えてあります。
 参道奥にはまたもや石段があり、この石段を上がると、いよいよ狛犬と勅使門が見えてきます。勅使門には天武天皇白鳳元年(673)建立と書かれており、この社の格式の高さと古社である証のような物ですね。
 その後方石垣の上に入母屋造りの大きな拝殿と渡り廊下で繋がれた本殿鞘堂がありますが、室町時代初期に建てられた三間社流造柿葺の本殿は正面のほんの一部分しか垣間見ることが出来ないのが残念です。
 その他、境内にいくつかの境内社が点在しています。

 御祭神:大海龍王神、赤渕足尼神、表米宿禰神
 境内社:護国神社、枚田稲荷神社、秋葉神社、三宝荒神、絹巻社他
 由緒:社伝によると、継体天皇25辛亥年(531)9月の創建といわれています。
 日下部氏の奉祭する神社で、大化元年(645)、表米宿彌命が丹後、白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた命の船が、海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、赤淵神社に祭ったとされています。
 大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であるといわれています。
 その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今でもアワビを食べない風習が残っています。

「赤淵神社由来記」はこちら

104号線沿いに建つ社号標
「縣社赤渕神社」
社頭
神社入口に建つ社号標
「式内赤渕神社」
一の明神鳥居
石段の参道 境内入口の白塀と楼門が見えてきました
楼門
楼門の彫刻・龍
楼門の木鼻・狛犬と象
楼門・境内側から 楼門から先も更に石段が続きます
神門
境内の様子
手水舎と参道 いよいよ大詰めが近づいてきました。
狛犬と勅使門が見えてきました。
建立年代不明の出雲丹後狛犬
吽は前足の間に牡丹の茎を囓っている小さな子狛を連れています。台座といい非常に手の込んだ造りをしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
勅使門
天武天皇白鳳元年(673)建立・勅使門
この門は勅使参向の際に用いられたものである。元禄7年(1694)に、八木城主・八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797)に修理したと伝える。円形の本柱に前後二本づつの控柱を立てた四脚門形式で材質は欅(けやき)が使用されており、切妻造り、桟瓦葺である。扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股(かえるまた)などの建築細部に見るべき特色があり、但馬地方では数少ない江戸中期の建物である。
勅使門に架かる
社額「赤淵宮」
境内の様子
社殿全景
拝殿左側面から
拝殿正面 拝殿内の様子

本殿正面 本殿鞘堂
境内社:護国神社 境内社:枚田稲荷神社
境内社:秋葉神社
境内社:三宝荒神
境内社:絹巻社
境内社 境内社
大神宮碑