大物主神社

尼崎市大物町2-7-6(平成20年1月4日)

東経135度25分39.85秒、北緯34度42分42.06秒に鎮座。

 この神社は阪神電鉄・大物駅の南約200mに鎮座しています。
 入口を入るとすぐ左に「汁醤油発祥の地」の記念碑があり、その時点では「汁醤油って今使っている醤油とどう違うのかしら?」と夫と話しましたがわからず、帰ってから調べると、味噌の醸造に際して 器の底に溜まった液汁を「溜まり醤油」と呼んだのに対して、清酒醸造の技術を応用して造られた醤油が「汁醤油」といわれるようです。 煮た大豆と小麦を混合して 種菌を加えたものが「麹」で、これを食塩水に漬け込んで 半年〜1年ほど発酵させた「もろみ」を、最後に圧搾機でしぼったものが「生醤油(=生揚[きあげ]醤油)」となるのだそうです。 明治から大正期にかけて 尼崎の最大の産物は「醤油」で、大正初期に生産量はピークに達しましたが、その後は減少の一途をたどり、戦後 昭和20年代には一軒の業者もいなくなり「尼の生揚」は 消滅してしまいました。 昭和60年代になって、生揚醤油の芳醇な味わいをなつかしむ地元の有志が集まって 「幻の醤油 尼の生揚」の復活を果たし、現在も毎年生産量は限られてはいますが 醸造された製品が期間限定で市販されているそうです。(発祥の地コレクションより)
 その他、拝殿左側には謡曲史蹟保存会の駒札と「義経弁慶隠家跡」碑があります。これは「平家物語」に、義経・弁慶主従らが西国に落ち延びようとした際、大物浦から船出しましたが大風で押し戻され、しばらくこの社付近に隠れ住んだという部分を、脚色され謡曲「船弁慶」として有名となったもので、また疑問点はあるようですが、義経・静の別離の地とも言われています。

 御祭神:大物主大神、市杵嶋姫命、湍津比賣命、田心比賣命、配祀:天照皇大神、住吉大神、春日大神、荒神、菅原道眞、惠比須大神
 例祭日:11月6日
 由緒:往古、淀川の分流である神崎川の河口に形成された三角洲から進展した尼崎は海運の要衝であり、海の幸(漁獲)に恵まれ「海土ケ幸」・「海ケ幸」と呼ばれていました。
 この地に、大和三輪大神の八世の御孫大田田根子命の後裔鴨部祝が祖神大物主大神を奉斎したのが創りで、尼崎における最古の神社というより全国を通じて屈指の歴史をもつ神社といえます。この大物主大神は京都松尾神社の祭神と同じ酒造りの祖神と崇められていますが、この社では水路を下る人達の守護神ともなり、この地を通り大阪湾から瀬戸内海に船出する人達にも、早くより開けたこの大物の地にある「一の宮」に篤い信仰をささげたことと思われます。
 下って二条天皇の平治元年(1159)に、平清盛公が安芸厳島神社の御祭神・宗像三柱神の中の一柱神・市杵島姫命の分霊を奉斎しました。
 延喜式神名帳に記載はありませんが、大化改新の頃に行われた条里制から推察すると、その頃既に、「大物」という地域が形成され、神社も鎮座していたと考えられるそうです。

神社遠景 社号標
神社入口 入口左、「汁醤油発祥の地」の石碑
「汁醤油発祥の地 尼生揚醤油 保存会会長 氏平競重」
昭和54年生まれの浪速風狛犬
岡崎現代型が一世を風靡していたこの時代にあっては致し方ないことでしょうが、浪速の特長を持ち、しょうわの姿をした狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和54年(1979)7月吉日建立)
拝殿 拝殿に架かる額
「大物主大神 宗像三柱神」
本殿