函館市御崎町 (令和6年10月8日)
東経141度10分12.06秒、北緯41度48分03.26秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道635号線沿いの恵山厳島神社の西側140mの地点から北に山道(車道)を登ること3.6Kmで駐車場。そこから歩いて1時間半で山頂です。権現堂は恵山山頂の南側90m程の位置に鎮座。
恵山の山頂近くに鎮座する権現堂。登山道には犬風な岩が多いので、狛犬さんが居なくても、それなりに癒される山です。麓の雰囲気は石仏などがあり、青森の恐山に似てるかな。
由緒
恵山権現堂は山頂、御殿と呼ばれる僅かな平坦地に存在する。建立した年代については判然としないが、かなり古い時代だったと思われる。
残されている中で、いちばん古い話は『北海道の口碑伝説(昭和15年刊・北海道庁編)』に、「恵山権現については、八四代順徳天皇の代、法然上人(浄土宗の開祖)門下四流証空上人の高弟、洛酒南深草真宗院西山派の円空立信が一挺の鉈を携えてこの地に渡り、自作の将軍(ママ)地蔵、秋葉権現、金比羅権現の三体を安置したのであると伝えられている」と記されている。
記録によればわたしたちの郷土に、本州から和人が移住したのは1720年、(享保5年)西村善次郎が最初で、次いで1738年(元文3年)野呂平四郎等が移り住んだとある。その後、寶歴年間に漁場を開き来住者5戸。享和、文化年間に及んで75戸の来住。天保・慶応に至って、戸数182戸を数えるまでとなり、村並の様子を呈して来た。だが、これより古く、活火山恵山の頂きには、明らかに和人が祀ったと考えられる祠(ほこら)が存在していた。そして、人々はこの祠(ほこら)を、誰言うとなく『恵山大権現』と呼び、信仰し、それは現在にまで続いている。
(以上 函館市地域史料アーカイブより一部抜粋)
恵山全景
登山道
登山道の左側の石仏
南無阿弥陀佛名号碑
泉藤兵衛が明治十一年寅四月に造立した南無阿弥陀仏の供養塔。
泉藤兵衛は文政十二年(一八二九)大畑村に生まれ、硫黄鉱山に投資した人。
観音菩薩?
恵山西壁
登山道
犬風な岩。豚鼻の狛犬さん風だ。南向きの岩。
奇岩群
あと100m付近
山頂南側
権現堂付近
山頂西側
最後の参道
鳥居
権現堂
内部
太鼓。この辺りはタコ漁が盛んな様だ。
神棚。に将軍地蔵尊が隠れている。
石碑(右から金毘羅大権現、将軍地蔵尊、秋葉山大権現と彫られている)・将軍地蔵尊
眼下の津軽海峡
これも南向きの狛犬風な岩