伊達神社

伊達市末永町(平成15年5月30日)

 明治8年7月、伊達邦成公が有珠郡開拓と北門鎮護の守護神として鹿島天足和気神社の御分霊を勧請し神殿を建立したのがこの神社の創建です。

拝殿

尻上がり狛犬。「尻上がり」というと出雲式を思い浮かべますが、この狛犬は全然感じが違います。未だ伊達氏の故郷・宮城は訪れていないのですが、そちらの特徴を備えているのでしょうか?

こちらは広島型の大きな玉取りと、佐賀狛の特徴である岩狛の組み合わせ。けれど狛犬そのものは岡崎や江戸の狛犬の特徴をあわせもっている様な気がします。

本殿を守っている小さな可愛い狛ちゃん

境内の木々・リンゴの花と真っ赤なモミジ

由緒
明治2年、伊達邦成公(旧藩主)有珠郡支配を命ぜられ、宮城県宇田・亘理両郡の旧臣を率いて当地に移住し開墾の業を進む。同6年まで移住者相次ぎ、ついに500余戸に達す。明治8年7月(同6年願い済み)時の開拓使伊達邦成公が有珠郡開拓と北門鎮護の守護神として旧磐城国亘理郡鎮座、延喜式内社鹿島天足和気神社の御分霊を勧請し神殿を建立。明治9年4月8日、邦成公自ら祭主となり、開拓使主典田村顯允公が副祭主、祠官黒野時中が奉仕して遷座祭を執行した。元紋鼈桜小路幌美内岡頭に鎮座。明治41年鹿島町に奉遷し、大正8年(開拓50年記念)に現在の社殿を改築した。昭和10年有珠郡開拓の先覚者であり偉勲者である伊達邦成公・田村顯允翁の2柱を配神として合祀、昭和48年現在地末永町に遷座された。