忠海(ただのうみ)八幡神社

竹原市忠海中町3-7-15 (平成23年7月29日)

東経132度59分29.73秒、北緯34度20分13.11秒に鎮座。

この神社は、JR呉線・忠海駅の北400m程の辺り、忠海中町の街中に鎮座しております。

黒滝山の南麓に鎮座する旧村社で、古くは「開発八幡宮」と称した。祭神は、応神天皇・神功皇后・3女神。清和天皇の貞観18年(876)、豊前宇佐八幡宮を奉斎、文化13年(1816)社殿灰燼に帰し、文政12年(1829)町年寄河田清左衛門他7名、大工棟梁西原儀蔵他29名によって再建された。
芸南風土記 より

参道入口

参道

境内入口

二の鳥居

石段の参道

境内入口

境内入口の狛犬。胸をはって堂々としています。拡大写真はこちら。
(文化13年(1816)丙子正月吉日建立)

拝殿

本殿


郷賢祀社

浦宗勝公 毛利家家臣、小早川水軍を統括した猛将で忠海・賀儀城主。
浅野長治公 広島三次支藩初代藩主で、忠海を御蔵米移出港として繁栄させた。
平賀晋民先生 忠海出身の江戸期の経学者で頼山陽に多大な影響を与えた。
木島晩翠翁 不明
池田快堂先生 池田徳太郎のこと。清河八郎らと新撰組の基礎を築くが、袂を分かち維新の志士として活躍。
田窪藤平翁 今治出身で塩田の近代化を進め、瀬戸内の製塩業の父として知られる。
山根与三兵衛翁 忠海の漁民で、フィリピンのマニラ湾での漁業の開拓者。

八坂神社

琴比良神社

不明

不明

不明

維新志士 池田快堂

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