礒宮八幡神社

竹原市田ノ浦1-6-12 (平成23年7月29日)

東経132度55分3.4秒、北緯34度20分19.07秒に鎮座。

この神社は、JR呉線・竹原駅の東北東400m程の辺り、竹原の東側に広がる丘を背に鎮座しております。由緒書きに「磯辺にあったので礒宮と称し・・・」あるので、嘗て神社の前まで海が迫っていたようです。おそらく海岸に一の鳥居が立ち、参道から社殿を望むと、緑の中に朱色の社殿が映え、素晴らしい景色かと思われます。

礒宮八幡神社 ( いそのみやはちまんじんじゃ )
建久5年(1194)、鎌倉の幕臣後藤兵衛実元が、宇佐八幡宮の分霊を勧請して、現社地の南西の鳳伏山麓に鎮祭したのが始まりといわれています。万治3年(1658)、唐崎正信により今の場所に遷座されました。竹原出身の江戸中期の尊王論者唐崎常陸介赤斎はここの神官でした。社頭には、尊王思想を鼓吹し志ならず自刃した赤斎が、宋の忠臣文天祥の書を模して「忠孝」と刻した忠孝岩が遺存しており、県の指定史跡になっています。また、徳富蘇峰書の「唐崎常陸之介碑」も立てられており、宝物館には、赤斎の遺品、書状などが陳列、展示されています。
広島県観光ホームページ より

県史跡礒宮(忠孝岩)
礒宮は、建久五年(1194)後藤実元が豊前国宇佐宮から鳳伏山に勧請、磯辺にあったので礒宮と称し、実元の代々の守護神として崇敬されていた(礒宮縁起)。その後荒廃し万治元年(1658)唐崎正信が現在地に遷宮した。
五代、唐崎常陸介は、境内の千引岩に、山崎闇斎からもらった宋の文天祥筆の「忠孝」の二大文字を刻した。

参道入口

境内入口

境内

石段

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政8年(1825)乙酉5月吉日建立)

拝殿内部

本殿


大山祇神社・穀神社・水神社・弓崎神社・厳島神社・雨乞神社・猿田彦神社

天満宮と池

天満宮を護る構え狛犬。拡大写真はこちら。
(明治10年(1877)5月建立)

天満宮社殿

水神社