五烏神社

尾道市向島町14613(平成20年3月24日)

東経133度11分12.64秒、北緯34度22分9.18秒に鎮座。

 この神社は317号線からほんの少し旧道に入り、小川に架かった橋を渡ったところに入口があります。
 一の鳥居を潜ると灯籠があり、狛犬が居ますが、この狛犬がとても変わっていて、一見の価値在り…と思われます。
 境内入口までの参道は明るく開放的ですが、楠の巨木の聳える境内入口からは、うって変わって豊かな鎮守の杜となります。石垣上の境内は広々としていて、正面には開放的な拝殿と少し高く渡り廊下で繋がって本殿が建立されています。拝殿には現社名の「五烏神社」とは違う「御烏社」の社額が架かっていました。元々はこちらの字を使っていたのでしょうか? 
 また境内には稲荷神社と「小早川隆景霊」「平田親族霊」が祀られている境内社もありました。小早川隆景は毛利元就の三男で、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、大名にもなった人です。次兄の元春と共に毛利家の発展に寄与し、主に山陽地方を担当し、水軍の指揮官として貢献しました。豊臣政権下では五大老の一人にも任じられています。実子はおらず、豊臣秀吉の養子であった羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子に迎えています。平田氏は平家の末裔で、小早川に属していた氏族です。江戸時代・広島藩政下にあってはその素性を隠し、この社に小早川神社を建立したのは平田氏一族だそうです。

 神社の案内は無く、御祭神・勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。
 けれど下記案内から、創建は少なくとも江戸以前で、いつの頃かは定かではありませんが「住吉神社」が合祀されているのは確かでしょう。

「天嬪」「住吉祭曳き船」案内はこちらで

神社入口と一の明神鳥居 参道の様子
参道にいる昭和15年(1940)生まれの狛犬
いやぁ、本当に変わった狛犬です。私達がサーカス狛犬といっているものとはまた異なり、阿は前足だけで身体を支え、大きく上げた後ろ足の下には丸々と太った子狛がいます。吽は右後ろ足で鈴を押さえつけ、その鈴から台座を通って伸びた紐を口で咥えています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・尾道 山城 昭和15年(1940)5月吉日建立)
境内入口に聳えるご神木・大楠と注連柱 参道脇の満開の桜
参道に建つ二の明神鳥居 境内入口
境内入口にいる文久2年(1862)生まれの狛犬
悪戯そうな若々しい玉乗り狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文久2年(1862)9月吉日建立)
境内の様子
拝殿に架かる拝殿に架かる社額 拝殿
拝殿内の様子 本殿
境内社:稲荷神社
入口と社殿
境内社:小早川神社
社殿内には「小早川隆景霊」「平田親族霊」が祀られています。
神楽殿?