若宮八幡神社

三次市十日市南4-7-55 (令和2年4月3日)

東経132度51分36.97秒、北緯34度47分50.28秒に鎮座。

この神社は、JR芸備線・三次駅の南東300m程の辺り、若宮公園のすぐ北側に鎮座しております。

御祭神 誉田別尊・気長足姫尊・仲姫命・武内宿禰大臣・足仲彦尊・玉依姫尊・少彦名神・素盞嗚尊・中臣常磐大連公

由緒
保元年中(1156年-59年)に畠敷村の比叡尾山(ひえびやま)城城主である三吉兼連(みよしかねつら)が男山八幡宮を勧請した。『芸藩通志』に因れば鎌倉時代の初、三吉村(後の原村、現三次市十日町や三次町一帯)の地頭である三吉兼範が山城国男山八幡宮を原村の救山(すくいやま)に勧請したのを創祀と伝える。
天文4年(1524年)室町時代に兵火により罹災した為に三吉致高により鏡山八幡神社として新しく社殿が造立される。
弘治3年(1557年)9月3日に三吉氏14代隆亮が上里村(あがりむら)寺戸(現三次町寺戸願万地)へ遷し、その折の棟札が遺されていた。
天正10年(1582年)に隆亮が寄進した鉄燈籠も遺されるが、この時は上里村八幡神社と呼ばれ、当時は神田として毎年200石を社領としていた。なお、救山から上里村への遷座に際しては御神体が途中寺戸の農家に1年近く逗留したとの事で、その縁からその農家の当主が下述する神幸祭において代々重役を勤める事となったという
享保2年(1717年)に浅野長澄により社殿が修復された。近世には上里村、三次町、原村と東河内村(現東河内町)半分の産土神とされた。
明治になって村社に列し、大正4年(1915年)、双三郡原町内の愛宕神社(軻遇突智命)、大山神社(大山祇命)、太歳神社(木花咲耶姫命)、若宮神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊)、救神社を合祀し、翌5年10月に現社地へ遷座した。
昭和3年(1928年)に拝殿が新築された。なお、昭和初期までは鏡山八幡神社と呼ばれていた。
ウィキペディアより。

参道入口

鳥居

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

本殿


末社 天神社

末社