志賀神社

三次市下志和地町488 (令和2年4月3日)

東経132度48分32.16秒、北緯34度44分15.95秒に鎮座。

この神社は、JR芸備線・志和地駅の東北東250m程の辺り、下志和地町の街外れに鎮座しております。

御祭神 品陀和気命

由緒
志賀神社は八幡宮と申しまつり大嶽山(古八幡)に御鎮座ましましたが、毛利尼子の合戦の砌り戦火により炎上しました。天正元年(1573)毛利輝元公神威を恐みて頓田山城に荘厳なる社殿を再建し河筋五ヵ村の総氏神として年々賑々しくお祭りをしました。今に伝わる六神儀の神楽は、この頃できたものといわれます。又、現在神殿の奥深く御鎮座の御霊殿は、当時の面影を偲ぶ唯一のものであり、実に壮麗で近郷に類を見ないものであります。
その後、百年の月日が流れた明暦元年(1655)乙未再び大嶽山に移し再建しました。降って天明2年(1782)世の中も開け大嶽山は道も悪く不便で現在地に移し奉りました。そもそも現在地は、白鳥神社の以前からの鎮座の聖地であり寛永年間(1624〜1643)友広惣左衛門が寄進した土地でした。
明治初年、志賀神社と改名申し上げました。大正14年(1925)現在の神殿を建立し今に至っています。尚、若宮様は大東亜戦争を始め明治より数度の戦役に尊い命を国難に捧げられた御氏子の御霊124柱が合祀してございます。
境内由緒書き より。

神社入口

JR芸備線

二の鳥居

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)4月建立)

拝殿

本殿


末社

神楽殿