糸碕神社

三原市糸崎8-10-1 (平成23年7月30日)

東経133度7分6.83秒、北緯34度22分53.23秒に鎮座。

この神社は、JR山陽本線・糸崎駅の南東1.5km程の辺り、海岸近くを走る2号線と山陽本線との間に鎮座しております。

祭神 帯中津日子命(仲哀天皇)・品陀和気命(応神天皇)・息長帯日売命(神功皇后)

鎮座地は瀬戸内海に面し、長井の浦と呼ばれる風待ちの浦として『万葉集』にも詠まれている。境内の東側には貢井(みつぎい)、又は御調井と呼ばれる井戸があるが、社伝によれば神功皇后が長井の浦に船を繋ぎ、この井戸の水を求めた事に因んでその水を長井の水と称し、当地を長井の浦と称すと伝わる。長井の浦は井戸崎(いどさき)ともいい、現地名の糸崎(いとさき)のはじめとされる。また、かつて広島県に存在した郡である御調郡も当神社の御調井が発祥であるという。
社伝に因れば天平元年(729年)に豊前国宇佐八幡宮より応神天皇の産髪を勧請した事に創まるといい、広島県内で最も古い神社とされる。古来朝野の崇敬を集め、かつては一宮と並ぶ社格を持つ別格神社として大氏宮と称され、中世には小早川氏や毛利氏、福島氏等の地方有力者の庇護を受け、近世には小早川氏が社領330石、銭150貫を寄進している。元和8年(1612年)に本殿が炎上、寛永元年(1642年)に広島藩藩主浅野長晟によって本殿が再建されたが、宝暦2年(1752年)に再び火災に罹り、同9年(1759年)に現在の本殿が再建された。
大正13年(1924年)に県社に昇格した。現在でもこの地方で船を新造した場合、まず当神社のお祓いを受け、その後大山祇神社へ向かうのが慣わしである。
ウィキペディア より

参道入口

社号標と神社入口
入口の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(明治42年(1909)9月吉日建立)

鳥居

神門

拝殿

社額

拝殿後ろ、玉垣内の狛犬。古そうですが、かなり剥落しています。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿

御調井

淡嶋社・大山祇社・祖霊社

稲荷社

嘗ての御神木でしょうか。雷が落ちたようです。

収蔵庫

舞殿