呉市仁方西神町26 (平成23年7月29日)
東経132度39分10.42秒、北緯34度13分27.62秒に鎮座。
この神社は、JR呉線・仁方(にがた)駅の北西1km程の辺り、扇状地中央の街中に鎮座しております。街中の神社ですが、天然記念物のクスノキが有名なようで、検索してもヒットするのはクスノキばかりです。
御祭神 誉田和気尊・息長帯日売尊・帯中津日子尊・邇々芸尊・大山津見尊・木華開耶姫尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊
由緒
当神社は明治四十一年(1908)十一月十日、現在地(西砂)に鎮座せる岩倉神社に一井迫の八幡神社並びに中筋原の下華田神社神社を合祀し、各神社の社名を取りて八岩華神社と称す。拝殿幣殿は大正九年(1920)、本殿は昭和九年(1934)花田瑞穂宮司の時それぞれ再建さる。又平成八年(1996)に大修復成る。
八幡神社は豊前宇佐八幡宮より仁方の一井迫に勧請された社であるが年歴不明なるも宇佐八幡宮側によれば貞観年間(859〜876)ではなかろうかと云う。文明六年(1474)八月十四日花田中務大夫藤原重光再興。弘治二年(1556)十一月二十四日、忠海村床浦城主浦兵部平宗勝再興。又享保十三年(1728)再興と伝える。
岩倉神社の創祀は川尻岩戸浜の南、女猫島の北谷に天文年間(1532〜54)と伝えられるが永禄年中(1558〜69)に毛利元就付近の神田字名吉悪を永代奉納す。永禄五年(1562)九月十七日、仁方村神職花田兵部忠次仁方の西砂に遷座せしむ。
下華田神社は紀伊国熊野本宮大社より中筋の原の地に勧請せし社、その年歴不明。万延元年(1860)花田伊勢守忠盛再建せりと云う。
境内由緒書き より
各村の神社を合祀しした為、特定の神社名を名乗れなくなった場合、普通地名を冠する神社となります。仁方神社とするのが一般的かと思います。しかしここは銀行の合併を先取りしたような、各神社の頭文字を連ねた神社名称となっており、結構珍しい名付け方かと思われます。
神社入口
社号標
境内前、玉垣内の浪速狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(安政5年(1858)正月吉日建立) |
境内入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
境内
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(安政6年(1859)己未正月建立) |
拝殿
社額
本殿
不明の末社
末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
稲荷神社 | |
神輿倉
天然記念物のクスノキ