桂浜(かつらがはま)神社

呉市倉橋町 (平成23年7月29日)

東経132度30分55.50秒、北緯34度05分54.00秒に鎮座。

この神社は、広島湾に浮かぶ、倉橋島の南側、桂が浜海水浴場のすぐ北側に鎮座しております。現在も一の鳥居は海岸の砂浜に立っており、嘗ての八幡宮としては珍しい鎮座地となっています。又、海岸は史跡万葉集遺跡長門島松原となっているようで、石碑が立っています。

桂浜神社本殿。文明十二年(1480)、領主・多賀谷弘重、檀那・多賀谷実時のもとで再建された。

1.昔は八幡宮といっていた。明治四年から地名に基き桂浜神社と改号。
2.祭神 宇佐八幡宮の御神霊を勧請し仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を、を祀りしている。
3.祭日 毎年陰暦八月十五日
4.宮殿 神社の創建の年代は詳細でない。しかし天平八年(736)遣新羅使大石蓑麿卿の一行が下向の時倉橋の海上に泊船し詠まれた歌の一首。
わがいのち 長門の島の小松原 幾代をへてか 神さびわたる(万葉集巻十五) これによっても当時既にこの地に社は鎮座していたと思われる。
再修の節の棟札によれば時の領主平朝臣弘重・貞光・檀那平朝臣民部丞実時によって文明十二年(1480)陰暦六月二日に再修された。本殿は前室付の三間社流造・柿葺。
昭和五十七年(1982)六月十一日に国の重要文化財に指定された。
倉橋町教育委員会

広島県史跡万葉集遺跡長門島松原
倉橋島は古来長門島と呼ばれ、瀬戸内海の要衝であった。天平八年(736)に派遣された遣新羅使はこの地に停泊し歌を残している。万葉集巻十五には大石蓑磨の歌など八首が載せられていり。松原が続く桂浜は、万葉の歌人が詠んだ歌意にかなう景勝の地であり、付近には、国の重要文化財の桂浜神社本殿や、日本最古の洋式ドック跡がある。

安芸国の長門島の磯辺に舟泊りして作る歌五首
石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ (大石蓑磨)
山川の 清き川瀬に遊べども 奈良の都は 忘れかねつも (作者不詳)
磯の間ゆ たぎつ山川 絶えずあらば またも相見む 秋かたまけて (作者不詳)
恋繁み 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島蔭に いほりするかも (作者不詳)
我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さびわたる (作者不詳)

長門の浦より舟出する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首
月読の 光を清み 夕なぎに 水主の声呼び 浦廻漕ぐかも (作者不詳)
山のはに 月傾けば いさりする 海女の燈火 沖になずさふ (作者不詳)
我のみや 夜舟は漕ぐと 思へれば 沖辺の方に 梶の音すなり (作者不詳)
広島県・倉橋町教育委員会

由緒書き原文はこちら。

桂が浜の参道入口

一の鳥居と社額

35号線手前、注連柱と千秋橋

35号線からの参道

境内

拝殿

拝殿前の愛媛型狛犬。拡大写真はこちら。
(天保14年(1843)正月吉旦建立)

中殿

国の重要文化財、三間社流造の本殿。


不明の脇社

末社


万葉集史跡長門島之碑

万葉集史跡前の海