亀山神社

呉市清水1-9-36 (平成23年7月29日)

東経132度34分17.4秒、北緯34度14分17.7秒に鎮座。

この神社は、呉駅の東1km程の辺り、呉市、東側斜面の街中に鎮座しております。広い参道と境内、立派な社殿の落ち着いた神社で、旧呉市の総氏神として信仰されていたようです。ここは現在「呉市清水」となっていますが、北東隣の和庄小学校は「呉市八幡(やはた)町」となっています。町名が変更になったのでしょうか。

由緒
当社は帯中津日子命(仲哀天皇)・息長帯日売命(神功皇后)・品陀和気命(応神天皇)の三柱を主祭神として祀る古社で「八幡さん」と呼ばれ親しみ敬われ、家内安全・商売繁盛を始め学問・安産・交通安全・厄除け等の神様として崇敬を集めている。
創建時代は不詳だが、呉宮原村字亀山(現在の入船山記念館の所)の地への御鎮座は文武天皇大宝三年(703)八月中旬と伝えられている。
この頃の社号は「大屋津日売神社」【大屋津日売とは、家屋・木の神の名で、この地域の中心産業が木に関わる産業であった事の表れと言えよう】、「鈴音宮」【参拝者や神楽の鈴の音が絶えないお宮、の意】「日売島神社」【大分県姫島の神が天武天皇白鳳八年(679)栃原村甲手山に天降り給ひ、後、亀山にご遷座との古伝あり】等称され、後「大帯日売神社」【大帯日売は、神功皇后の別名】、「八幡宮」【九世紀以降か?】更に「皇城宮」【寛政十一年(1799)に奉献、現在の燈籠にこの社号が残る。現在でも用いられ、この燈籠にもある日月の神紋 は文明年間(十五世紀後半)よりといわれ八幡宮の神紋としては例の少ないものであると言われている】、明治維新の際「亀山神社」と改称される。
このような社号の変遷に、常に地域の生活と密着した心の故郷の姿がうかがえる。呉鎮守府設置の折、入船山より明治二十三年五月現在地に移転。
境内由緒書き より

参道入口。呉駅を出、隣の安芸阿賀駅へ向かう電車はこの辺りで全長2,582mの呉トンネルへ入ります。社殿はトンネルの上に建っています。

一の鳥居

参道

社号標と狛犬

参道石段左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

二の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(尾道 石工 宗八 天保6年(1835)乙未夏6月吉日建立)

境内

境内前の構え狛犬。拡大写真はこちら。
(尾道市 大村石材店 昭和10年(1935)乙亥孟春月日建立)
境内入口の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)9月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


稲荷神社

明治神宮遥拝所

御神木

絵馬

灯篭