神石郡神石高原町下豊松842 (令和2年4月5日)
東経133度20分29.37秒、北緯34度46分18.92秒に鎮座。
この神社は、神石高原町役場の北東12km程の辺り、下豊松の街中に鎮座しております。
御祭神 品陀和気命
由緒
本社は古来より吉備品治國の祖開化天皇5世孫息長日子王の古墳と称せられ元始的神社たる天神社(天津神)を祀れり。
康平年中(1058〜1064)相模国より当所米見山に勧請せる鶴岡八幡宮を治暦元乙巳年(1065)8月此地に奉移して天津神と併せ30余年の後承徳2戊寅年(1098)より備中国後月郡川手庄を添へ八ケ庄(豊松庄、日野庄、日谷庄、篠尾庄、只原庄、油木庄、花済庄、備中川手庄)総鎮守と称し神威遠近に炳然たり。現今の御本殿は貞享元甲子年(1684)の改築である。
慶應2年(1866)12月孝明天皇御不例に際しては二條関白の思召を以って当社に使を遣して大宮司をして厚く御平癒の御祈願をなすべき旨仰付けられ当社より御神札御撫物を献上せり。当社の社宝たる孝明天皇御帷子は特に二條関白齋敬公を以って御納めに相成りたるものなり。当社伝統の八ケ社神代神楽、神殿行事渡り拍子、湯立神事、宮座式流鏑馬神事は廣島県無形文化財に、祭祀用具は国の重要民俗資料に指定されている。
境内由緒書き より。
参道入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治33年(1900)8月建立)
参道
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和13年(1938)11月3日建立)
神門
鬼瓦
拝殿
拝殿内部
本殿
宮奥笹部祖霊舎
末社