五日市八幡神社

広島市佐伯区五日市6-3-13 (平成23年7月28日)

東経132度21分53.02秒、北緯34度22分13.57秒に鎮座。

この神社は、佐伯区役所の北1km程の辺り、八幡川のすぐ南側に鎮座しております。街中の神社ですが、緑も豊かで、大変落ち着いた雰囲気となっております。

主祭神 品蛇和気命・息長帯日賣命・比売神
相殿神 帯仲津日子命・伊邪那岐命・武内宿祢命・大歳神・稲田姫命・須佐之男命・佐田彦大神・大宮能賣大神

御由緒
本社は創建不詳と雖も元佐伯郡坪井村字椿原に屋代、三宅、坪井、千同、倉重、保井田、寺田、寺地、中須賀、口和田、高井、利松、皆賀、井口、五日市の近隣十五箇村の総氏神社と有りしを天文年中の暴雨、宝永年中の大風雨にて山谷潰崩し社殿流損した。
宝永七年八月十五日皆賀村八幡神社へ暫時鎮座し、明治八年六月六日摂社新宮神社改修の節遷座し社名を八幡神社と改称す。
尚、明治四十五年四月十八日地毛村大歳神社、大正十年一月三十一日皆賀村八幡神社を合祀する。
五日市八幡神社公式サイト より

旧五日市村の郷社で新宮山の麓に鎮座し、石鳥居奥の本殿は流造りで祓殿が付属し、離れに社務所が所在します。本殿の主祭神は八幡の大神で、相殿は貴船神社・大歳神社・新宮神社などの合祀された祭神と思われます。
創建の年代は不明ですが、天文年間(1532〜1555)の大暴風雨により、坪井村奥の矢櫃谷から山津波が起こり、坪井村や千同村の田畑を押し流しました。椿原(現坪井2丁目)鎮座の社殿は五日市村の御戸森まで流され、村人は流れ着いた社の社宝・扉などを拾い新宮山上へ祀りました。その後再び暴風雨で社殿が倒壊し、宝永7年(1710)8月に、皆賀村の八幡宮に移して合祀されました。本来、観音地区の旧7村の鎮守社で、流失後に佐方・廿日市の両村が分離され、さらに八幡川の付け替えや五日市用水路の設置により、八幡地区旧7村を信仰圏に引き入れました。こうして近郷15か村(屋代・三宅・坪井・千同・倉重・保井田・寺田・寺地・中須賀・口和田・高井・利松・皆賀・五日市・井口)の総氏神となったのです。
明治元年(1868)に新宮神社が現在地に移っており、同8年(1875)6月6日に本社を遷宮し、同45年(1912)に地毛地区の大歳神社を合祀しました。大正年間に皆賀村字西山に鎮座の皆賀八幡神社は、浮浪者による不審火により消失したため、大正10年(1921)5月9日に、五日市八幡神社に合祀されました。それまでは八幡川を挟み、両岸に二つの八幡神社の社叢があり、両社を結び「両宮橋」が架けられていました。因みに皆賀八幡神社は、岡岷山の『都志見往来諸勝図』にも記されています。
境内由緒書き より

参道入り口

参道に架かる神橋

境内入り口

境内入り口の構え狛犬。拡大写真はこちら。
(慶応4年(1868)戊辰8月建立)

境内

拝殿

本殿


喧嘩神輿倉