新宮神社

広島市西区古江東町4-1 (平成23年7月28日)

東経132度24分49.47秒、北緯34度23分5.02秒に鎮座。

この神社は、広電宮島線・古江駅の北200m程の辺り、古江東の街中に鎮座しております。境内隣は大型のマンション等が立ち並ぶ街中ですが、境内は広く、緑も豊かで落ち着いた神社となっております。

御祭神 正殿 伊邪那美命・泉津事解男命 相殿 大日霊女命・品陀和気命・須佐之男命

新宮神社は南北朝時代の延文年間(1356〜1361)に紀伊国熊野三所権現(本宮、新宮、那智社)のうち新宮社を勧請し「光延の新宮大明神」として、現在の位置に鎮座されたのが起源である。祭神は泉津事解男命である。わが国の神様は、天照大御神を初めとして、伊邪那諾命と伊邪那美命との間に生まれられた神が多く、泉津事解男命もその中の一人で、すべての邪気を払いのける神として祭られる。熊野三所権現は前記の諸神を祭ったところであって、早くから諸国にその名が知られていた。古江の新宮神社は古くから泉津事解男命だけを祭り、明治初年に至り伊邪那美命を加えて祭神を二座とした。
新宮大明神は古江中郷(なかごう)の氏神であり、その外に向原(あちばら)の氏神としては油免(ゆうめん、現在の古田小学校敷地の一部)に八幡宮があって品陀和気命を祭り、また中郷の朝日山に大日社があって大日霊女命と須佐之男命とを祭っていたが、明治四十年(1907)県の指令により、後の二社を相殿として、新宮神社に合祀された。
新宮神社は明治八年(1875)村社に列格されたが、昭和二十八年(1953)法令改正によって「宗教法人新宮神社」として登記された。
社殿造営については、寛保元年(1716)以降の諸社造営帳によれば、安政三年(1856)に正殿、幣殿、拝殿が造営され慶應元年(1865)に三殿が再建されたが平成二年(1990)二月火災に遇い三殿が全焼し平成三年十月再建した。
境内由緒書き より

参道入り口

参道

境内

鳥居と狛犬

石段上の愛媛型構え狛犬。拡大写真はこちら。
(明治23年(1890)9月吉日建立)

拝殿

社額

本殿