衣羽(えば)神社

広島市中区江波南1-26-6 (平成23年7月28日)

東経132度26分19.28秒、北緯34度21分47.38秒に鎮座。

この神社は、天満川と本川の河口に挟まれた中州、江波山公園という小さな山の北東斜面に鎮座しております。

祭神 多紀理毘賣命・多岐都比賣命・市寸嶋比賣命
相殿祭神 大綿津見神・大穴牟遅神・宇迦之御魂神・少名毘古那神・稚産霊神・倉稲魂神・保食神

創建年月日は明確でないが、広島市内随一の由緒正しい古社。安芸の国の国司所祭の官社を収録した古代の神名帳「官社一百八十社」の中に三位衣羽明神と記載されている。従って、前記神名帳が作成された、正和二年(1313)以前に創建されている。明治四年(1871)官の指揮により旧名に復し、衣羽神社と改める。
境内由緒書き より

江波は、かつて広島湾に浮かぶ「江波島」という島であった。江波の村社である「衣羽(えば)神社」には約680年前の記録があり、島には約700年前には人が住んでいたという記録が残っている。広島が五箇庄といわれていた寒村の頃、現在の太田川デルタはほぼ海中であり、現在丘の部分がデルタに点在していた島々であった。

江波が島であった頃、広島湾は洪水が発生した際に流出した土砂が、広島湾に溜まって自然の力によって海岸線が南下していった。約400年前毛利輝元によって広島城が築かれると、人の力によって急速に干拓が進んでいった。明治時代には舟入と陸続きになった。現在の地形になったのは戦後の埋め立てによるものである。
ウィキペディア より

参道入口。嘗ての漁村の名残でしょうか。道が狭い。

一の鳥居

注連柱と二の鳥居

参道の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(天保9年(1838)戊戌正月吉日建立)

参道の石段

境内

拝殿

社額

本殿


恵美須神社・住吉神社・須佐神社

天満宮