比治山(ひじやま)神社

広島市南区比治山町5-10 (平成23年7月28日)

東経132度28分32.76秒、北緯34度23分6.62秒に鎮座。

この神社は、広島駅の南1km程の辺り、比治山と呼ばれ、現在は全体が公園となっている小高い丘の北側に鎮座しております。嘗て太田川デルタはほぼ海中で、健在の比治山公園も「江波島(えばじま)」と呼ばれる、島であったようです。その頃は神社も海岸に鎮座していたのでしょうか。

祭神 大国主大神・少名毘古大神・建速須佐之男大神・市寸島比売大神・車折大明神

もと黄幡(おおばん)大明神と称し、比治山南の谷(俗称-黄幡谷)に鎮座されていましたが、正保三年(164年)三月現在の社地に移して鎮守社となり藩政時代には稲荷町三組、東柳町、下段原村、竹屋町南裏、平塚、竹屋村などの産土神として祀られ、当時の藩府より毎年正月門松添木、九月祭礼湯立の薪木を寄付されるなど崇められていました。
明治元年、神仏分離令の際社名をあらためて比治山神と称し、明治四年拝殿を再建、明治五年村社に列せられ、明治四十年神饌幣帛料供進社に指定されました。
境内由緒書き より

元々は比治山の南の「黄幡谷」と呼ばれる谷に鎮座し、黄幡大明神(おおばんだいみょうじん)・黄幡谷と称していたが、正保3年(1646年)3月に真言宗勝楽寺の境内に遷座し、その鎮守社とされた。寛文年間(1661年 - 1673年)に現在地に遷座し、近隣の村の産土神として信仰された。明治の神仏分離の際に勝楽寺と分けられ、鎮座地名から比治山神社に改称した。明治5年、村社に列格した。

昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾の投下により社殿を焼失し、昭和29年(1954年)年に再建された。昭和34年(1959年)、神社本庁の別表神社に加列された。
ウィキペディア より

神社入口

一の鳥居と社号標

境内

手前の蹲踞狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
奥の構え狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和3年(1928)10月吉日建立)

二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿


稲荷神社

ライオン