早稲田神社

広島市東区牛田早稲田2-7-38 (平成23年7月27日)

東経132度28分43.61秒、北緯34度24分38.11秒に鎮座。

この神社は、広島駅の北2km程の辺り、牛田山と呼ばれるなだらかな丘陵地帯の南側斜面に鎮座しております。宅地開発がやや無秩序に行われたのでしょうか。神社に至る道は狭く、又複雑になっています。

御祭神 足仲彦命(帯中津日子命ー仲哀天皇)・品陀和気命(応神天皇)・息長帯日売命(神功皇后)

古文書に『文亀三年(1503)工事を起し、爾来数年にして通常平地を一変し、一小丘を作り、永正八年(1511)九月十五日、ここに神霊を安置せり。よって今に至るも、「垚(あけ)八幡宮」又は「垚(あけ)の宮」と称す』とある。亦、古老に依れば、武田氏不動院の向いの武田山山上に安芸の国の守護職の武田氏が居城銀山城を建てられたが、その居城より展望すれば牛田のあたりは方位が鬼門に当る処から平安を祈り源氏方の守護神である八幡神を祀り、見立山に「神田神社」、早稲田山に「早稲田神社」を建立したと伝えられる。(神田神社は宇品埋立地に氏神社の無い所から一町村一氏神の政府方針もあり、工兵作業所の作業所の入口から移転した。)特に武道の神として崇敬され、武田氏以来、毛利氏の崇敬厚く、又、浅野氏の入国以来、維新に到るまで、家老が代参し、供貢を奉献せられ、明治四十二年、神饌幣帛料の供進の指定社に列した。
旧社殿は古くは浅野藩三代綱長公により本殿が改築され、大正四年御即位、御大典記念事業として改築され、昭和二十年八月六日、原子爆弾により半壊したが、戦後の混乱期にもかかわらず直ちに復旧せられた。昭和三十年十二月八日、浮浪者の失火により不幸にして消失したが直ちに再建奉讃会が結成され、昭和三十五年、現社殿が竣工、四百五十年祭と併せ、奉祝祭が町民挙げての喜びの中に、十月十五、十六、十七日の三日間にわたり盛大に執行された。その後、平成二年ご大典記念事業として社殿、資料の改築、参道の補修等、数次の整備を行いつつ現在に致っている。
早稲田神社公式サイトより。 境内由緒書きはこちら。

参道入り口。社号標は「早稲田八幡神社」。

参道

鳥居

境内

拝殿

参勤交代の藩士が奉献した狛犬。由来が分かる珍しい例かも知れません。
此の狛犬は、高さ七尺五寸、参勤交代に参加した連中が職務の安全遂行を祈り、天保十一年(1840)九月天狗面を添えて寄進されたものである。史実によれば、天保十一年四月十六日浅野斉粛候(侯?)の一行は広島を発し、五月十一日江戸着、翌年四月下旬江戸を発した江戸詰の者が五月下旬広島に帰着している。拡大写真はこちら。
(天保11年(1840)9月吉日建立)

本殿


末社参道

稲荷神社

金刀比羅神社

祖霊社


弥生時代古墳跡