饒津神社

広島市東区二葉の里2-6-34 (平成23年7月27日)

東経132度28分21.1秒、北緯34度24分7.06秒に鎮座。

この神社は、広島駅の北西1km程の辺り、標高139mの二葉山西山麓、猿猴川(えんこうがわ)東側に鎮座しております。旧藩主を祀った神社は数多くありますが、ほとんど明治以降創建された神社ですが、ここは天保6年(1835)、天保の大飢饉のさなかに藩祖長政を祀るため広島城鬼門に造られたという神社です。

御祭神 浅野長政命・浅野幸長命・浅野長勲命・末津姫命・浅野長晟命

天保6年(1835)、浅野9代藩主斉粛が始祖長政を祀るため広島城鬼門(東北)の方向に、明星院境内の西半分を割いて造営しました。時代は天保の大飢饉、藩財政の苦しい中、敢えて壮大な神社を造営したのは、始祖を祭神とした神社を建立することで藩士の結束を固めようとしたためと伝えられています。なお、幕末に創建された神社のうちでは、全国最大を誇るものでした。
昭和20年8月、原爆被災により建物は全焼し、石灯籠、手水鉢などの石造物のほか、十数本の松(最後の1本も平成15年1月に松枯れし伐採)のみが残る甚大な被害を受けました。
戦後、仮殿、本殿などが復興され、遂に平成12年(2000)を機に、悲願の向唐門が復元されました。この向唐門は武家を祀る神社などに使われていましたが、その大きさは全国2位の大きさを誇っています

原爆の炸裂による強烈な爆風のため 本殿や唐門などの建物が一瞬にして破壊されました。その直後本殿から出火し、他の建物も次々と延焼していきました。爆風により、境内の樹木は吹き倒され、参道の石灯籠も倒されました。境内には、燃え盛る市内から大勢の人々が避難してきて、臨時の救護所が設けられました。

境内の由緒書き等はこちら。

参道入り口

参道

鳥居と狛犬

後ろ足をやや上げたユニークな玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

唐門

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


稲荷神社

恵比須天

御陣中御手水鉢

浅野長勲公頌徳碑

桑宅木原翁之碑

北清事變忠死者紀念之碑

饒津神社の石垣