安神社

広島市安佐南区祇園2-21-3 (平成23年7月27日)

東経132度28分4.72秒、北緯34度26分23.28秒に鎮座。

この神社は、JR可部線・古市橋駅の南800m程の辺り、祇園の街中に鎮座しております。嘗ては祇園社と言い、この地そのものが祇園社の門前町として発展したようですから、当然の事かも知れません。

祭神 素盞鳴尊・稲田姫命・大己貴命

祇園社ともいい初めは銀山(武田山)のふもとの松尾山にあって安芸の国鎮護の神として国司より厚く敬われ祭事及び社殿の維持はすべて当国の費用でまかなわれていた。正安年中(十三世紀)例祭の日に神輿が御旅所へ御幸中厳島社司佐伯郡桜尾城主平員家が数多の軍勢をひきいて参拝の群集にまぎれて銀山城を攻めた。その際松尾山本社付近の武田家臣の屋敷や民家と共に本社も社殿および神宝その他記録にいたるまで一切を消失した。幸いに御神体は祭礼のため御旅所(今の祇園社の地)に御幸鎮座中であったため兵火をまぬがれることができた。後、武田家によって現在地に本殿が再建された。その後毛利・福島・浅野の各領主によって修理や再建が行われてきた。
明治六年二月郷社となったが、明治四十三年三月九日火災にかかって社殿神器などはほとんど消失してしまった。ただ御神体だけは難をまぬがれ異状のなかったことは不幸中の幸であった。そして同年本社再建の許可を受け、数多くの篤志家、あるいは地方有志の多大な献金により大正二年再建され大正三年遷宮式を、また大正五年三月四日をもって極めて荘厳な落成式を挙行され現在に至っている。

当社は清和天皇勅宣にして貞観十一年諸國御勧請有之其一社なり。元祇園社と唱、明治二年八月安神社と改稱。御祭神は素盞鳴命。左殿稲田姫命。右殿大己貴命。合殿五柱を祭る。元銀山麓松尾山に鎮座。正安元年六月十三日、兵火に罹り今の社地に遷座。
社領天文十年大内家より拾貫文之地寄附、永禄九年毛利家より神田壹町五反半畝の寄附。福島家地面没収米拾八石寄附せらる。浅野家より維新に至るまで同様寄附あり。國主代々の祈願所なり。維新後は追秩録有之たり。
祭日は毎年陰暦正月七日たたき箸の神事及六月十三、十四日神事なり。此六月大祭には浅野家より神馬二頭長柄槍二十本年々寄附。就ては、御徒歩目附取締の為め信仰者多の近隣稀なる祭事なり。

祇園社として創建されたのが前身であり、初めは武田山の麓の松尾山にあったと言われる。
正安元年(1299)の祭礼の日、厳島社司桜尾城主平員家の軍勢によって銀山城が攻められそのとき社殿が兵火に遭い消失した。幸いに御神体は、祭礼のため御旅所(現在地)に御幸、御鎮座中であったので兵火をまぬがれることができた。
その後武田氏により現在地に再建された。武田氏が滅亡後は、毛利、福島、浅野の各領主の崇敬を受け修理や再建が行われてきた。
明治6年(1873)郷社となり、明治43年(1910)再び火災に遭い消失したが、このときも御神体は難をまぬがれ大正2年(1913)に神殿が再建された。
境内由緒書き より。 安神社公式サイトはこちら。

神社入り口

一の鳥居

参道

二の鳥居

二の鳥居前の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(文政元年(1818)戊寅6月吉祥日建立)

境内

拝所

拝殿

本殿


神明神社


御神木