嚴島神社

廿日市市宮島町1-1(平成20年11月22日)

東経132度19分20.38秒、北緯34度17分33.85秒に鎮座。

【狛犬情報・剣貝さんより】
団体旅行の一人として嚴島神社を参拝しました。大鳥居のライトアップ鑑賞にあわせての時間ですので、自由時間は十分有りましたが、日没まじかなので駆け足で写真を撮りました。さすが参拝客が多く写真撮影は苦戦しました。

管理人の一言
剣貝さん、ご苦労様です。有名な観光地は人が多いので、我々もつい避けてしまいます。嘗て我々も一観光客として参拝していますが、何せデジカメの無い時代、記録も記憶も無く、何時かはと思いつつ無精を決め込んでいました。今回の情報提供、有難う御座います。

御祭神 天照大神の娘である宗像三女神、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命

御由緒
推古天皇元年(593)、佐伯鞍職[さえきくらもと]によりご創建と伝えられています。説は、色々ありますが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島[いつきしま]大明神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっています。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていましたので、陸地では畏れ多いと海中に社が建てられました。

延喜式神名帳に安藝国佐伯郡「伊都伎嶋神社」とあるのが当社とされているようです。国宝「平家納経」や「千僧供養」が知られるように、平安末期にはすでに神仏は習合していたようで、日本三大弁才天の一つである、この神社の御祭神は勿論「弁才天」であった筈です。江戸時代は「厳島弁財天」、或いは「宮島弁財天」と呼ばれていたようです。外来の神を嫌った明治政府により、宗像三女神に入れ替えさせられ、御本尊の「八臂弁才天」は現在大願寺の秘仏となっております。御開帳は6月17日となっているようです。

島全体が神域であった為、血や死といった穢れの忌避は顕著であったようです。島に死人が出ると、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬る。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかったと言われています。又、鉄の農具を土に立てることを忌み、耕作は禁じられ、「女神の御神体内」であることから、古来より女性の仕事の象徴とされた機織りや布さらしも禁忌とされていた為、島に生活する人の為、対岸から行商人が船を出す光景は第二次世界大戦後まで続いていたそうです。廿日市(二十日の市)は鎌倉時代、厳島のために立った市場から発展した町と言われています。

神社遠景

神社全景

大鳥居

ライトアップした大鳥居

参道

参道途中、鳥居傍にいるブロンズ狛犬。拡大写真はこちら。
(大正8年(1919)8月建立)
参道途中の玉乗り狛犬
(年代不明)
参道途中の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

客神社・左、入口

客神社 [まろうどじんじゃ]
御祭神 天忍穂耳命(天照大神の長子で、農業の神です)・活津彦根命・天穂日命(天照大神の子で、農業の神です)・天津彦根命(日の神、雨の神、風の神、火難除けの神として崇敬されています)・熊野櫞樟日命

御本社と同様に、本殿 ・幣殿 ・拝殿 ・祓殿からなり、嚴島神社の祭典は、この客神社から始まります。祓殿[はらいでん]正面の海側の波除板[なみよけいた]が切れているのは、ここから下へ降りるための出入口の名残といわれています。

客神社・内部

客神社・本殿

廻廊

青銅の燈籠
燈籠の台座に遊ぶ狛犬。拡大写真はこちら。

門客神社[かどまろうどじんじゃ]。火焼前[ひたさき]をはさんで左右にあり、ご祭神は豊石窓神[とよいわまどのかみ]・櫛石窓神[くしいわまどのかみ]です。

高舞台

拝殿内部

高舞台左右、青銅製の狛犬。良く供出させられず残ったものです。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿

大国社

天神社全景

天神社拝殿

本殿

能舞台

裏参道入口

裏参道を護る構え狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

御朱印