府中市上下町上下309-4 (令和2年4月5日)
東経133度07分35.94秒、北緯34度41分43.46秒に鎮座。
この神社は、JR福塩線・上下駅の北東700m程の辺り、上下の街外れに鎮座しております。
御祭神 品陀和気命・帯長津日子命・息長帯賣命・高龗神・須佐之男命
由緒
正和年間(1312〜1316)旧丹下城主斉藤美作守相州鶴ヶ岡八幡宮を城内に歓請し、その後正中2年(1325)往古より当地亀山(神山)に鎮座する高靇神社に遷座される。又、同年本郷大宮八幡宮の分霊をも併せて合祀する。
明治27年(1894)火災にて神殿焼失。明治42年(1909)宇佐八幡宮の神霊を奉戴す。昭和3年(1928)郷社に昇格する。
万葉集巻十に「つまこもる矢野のかみ山露霜に句ひそめたり 散らまくをしも」とあるがこれは万葉の歌人柿本人麻呂が石見国に赴く時に当社の紅葉を賞賛して詠んだ歌と古来伝えられている。元禄13年(1700)上下は天領地となり代官出張所が置かれ石見大森銀山で採掘された銀の中継地として宿場町になった。
やがて幕府役人の力を背景に金融業が興り「上下銀」と呼ばれる莫大な富を産み隆盛を極めた。八幡宮も甲奴、神石、安那(現深安郡)三郡天領地の総社として崇められ石灯籠・唐獅子等の石造物は特に数が多く場所の高さを考えると往時の苦労が偲ばれる。又祖霊社の規模雄大さは県下でも希である。
境内由緒書き より。
参道入口
神額
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(平成9年(1997)7月吉日建立)
二の鳥居
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治28年(1895)乙未3月吉日建立)
三の鳥居
境内
石垣前の狛犬。拡大写真はこちら。
(嘉永3年(1850)庚戌冬正月吉日建立)
拝殿
拝殿内部
本殿
本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治41年(1908)5月10日建立)
祖霊社
忠魂社
高良神社
十里堂荒神社
桜