吉備津神社

福山市新市町宮内400(平成20年3月22日)

東経133度16分31.63秒、北緯34度33分56.24秒に鎮座。

 この神社は、JR・新市駅から26号線を北へ2Kmほど行くと、右手に御池があり、左手路地奥に境内入口があります。
 入口の鳥居、随神門を潜ると長い参道脇には広々とした駐車場があり、ご神木の大公孫樹が毅然とした姿で聳えています。参道の石段上には第二の随神門があり、このように随神門が同じ方向に2つあるのは、日本でもここだけなのだそうです。
 第二の随神門を潜るとすぐに神楽殿(県指定重要文化財)が建ち、神楽殿脇から上がる石段上には開放的で大きく立派な拝殿が望まれます。拝殿奥には福山城主・水野勝成により、慶安元年(1648)に再建された国重要文化財指定の、優美で華麗な檜皮葺の本殿が、目を見張るような立派さで建立されていました。その本殿の正面回廊の上には、「虎睡山」という大きな山号が掛かっており、神社の本殿というよりはむしろ寺院の本堂の趣もあり、未だに神仏混淆の名残が見られます。
 その他境内各所には十数社の境内社が点在していました。
 この社は備後国一宮ですが、前面には水面の涼やかな御池、正面奥には神体山・神名備山を背景に、広大な社域を持つ、歴史的な重みを感じさせる素晴らしい神社でした。

 主祭神:大吉備津彦命
 相殿神:大日本根子彦太瓊命、細比賣命、稚武吉備津彦命
 例祭日:11月23日及びそれに近い日曜日を含む3〜5日間
 境内社:多理比理神社、十二神社、吉備津稲荷神社、厳島神社、胡神社、櫻山神社、大山祇神社、秋葉・四所神社、厩戸皇子神社、疱瘡神社、十麻里二柱神社、祖神社、彰徳宮、白髪神社、吉備津天満宮、武内神社、真名井神社、山雷神社、公孫樹乳房神
 由緒:「一休さん」と呼び親しまれるこの社の創建は、吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請したと伝えられています。中世より備後国一宮として崇敬を集め、広大な社領と多くの神人を有し、たびたび近隣の豪族と衝突していたため、貞和2年(1346)には高師泰が備後国守護に神人の横暴を止めるよう命じています。戦国時代には毛利輝元より、江戸時代にはこの地を治めた福島氏、水野氏より社領の寄進がありました。旧國幣小社で現在は別表神社となっています。境内および周辺の山林は、史跡一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)として昭和9年に指定されています。
 御祭神は備前、備中、備後、美作を治めた第七代孝霊天皇の皇子・吉備津彦命であり、岡山の吉備津彦神社の分社です。本殿は慶安元年(1648)福山城主・水野勝成公造営の入母屋造の国指定重要文化財です。全国で唯一、随身門が2つある社として知られ、節分には「ほらふき放談」という、参加者がほらを吹き合うという珍しい神事があります。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)

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神社遠景
神社入口 社号標
「國幣小社吉備津神社」
入口の随神門
随神門内にいらっしゃる、雅で貴族的な随神さん
参道と広々とした駐車場 手水舎
駐車場内に聳えるご神木・大公孫樹 境内に残る嘗てのご神木の根元
上記のご神木の表皮
参道の石段と第二の随神門
随神門が二つも有るのは、全国的にも珍しいそうです。
第二の随神門内に居らっしゃる若々しい随神さん
県重文指定・寛文13年(1673)建立の神楽殿
開放的で、大きく立派な拝殿
拝殿内に架かる精緻な十二支彫刻の額

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本殿前、文政7年(1824)生まれの備前狛犬
夫は類型的な作品の多い備前焼狛犬は余り好きではないそうですが、「この狛犬は今まで見た中では一番良い。」と珍しくお褒めの言葉を頂きました。吽の片耳や、尾の先が無くなっていますが、確かに威厳に充ち満ちた恰幅の良い素敵なお姿をしています。
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(文政7年(1824)7月建立)
本殿前、慶応2年(1866)生まれの玉乗り狛犬
強面ですが、この狛犬も丁寧な良い造りをしています。この型の狛犬はお尻が可愛いですね。
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(慶応2年(1866)建立)
国重要文化財指定・優美で華麗な檜皮葺の本殿
慶安元年(1648)福山城主・水野勝成が造営しました。
入母屋造檜皮葺で千鳥破風が付き、桁行・七間、梁行・五間で造られています。
本殿内の様子

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