備後護国神社

福山市丸の内1-9-1(平成20年3月23日)

東経133度21分43.73秒、北緯34度29分21.23秒に鎮座。

 この神社は福山城公園内に鎮座しています。

 御祭神:阿部正弘公をはじめとする歴代備後福山藩主、備後国出身の護国の英霊、大彦命、武沼河別命、豊幹別命
 例祭日:例祭 5月第2土曜日、10月23日
 由緒:旧社格は内務大臣指定護国神社で、戦後別表神社となっています。
 明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり、明治26年に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し、明治34年に官祭福山招魂社に改称しました。昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。
 昭和15年(1940年)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と運動場を有する神社として建立されることになり、第二次世界大戦(太平洋戦争)中も工事が続けられていましたが、完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失してしまいました。この敷地は現在、福山市体育館として使われています。
 第二次世界大戦中後の一時期は「備後神社」を名乗り、福山城本丸にあった元の福山招魂社に合祀されていました。昭和29年(1954年)に、社殿を阿部神社の本殿を改装したうえで合祀することが決定し、昭和31年(1956年)に復興、それに合わせて、福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社は境内社として残っています。現在の「護国の英霊」以外の祭神は、このとき合祀されたものです。翌昭和32年(1957年)に備後護国神社に改称しました。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
 尚、阿部神社は文化10年(1813)に時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。

福山城公園内に建つ一の大鳥居 神社遠景
表参道入口
表参道は全てこの様な、左右に
分かれた石段になっています。
境内入口
境内入口にいる建立年代不明の狛犬
阿は垂れ耳、吽はピンと立ち耳で角つき。ライオン顔で、姿勢正しく蹲踞しています。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
本殿
社殿全体を脇から
拝殿左にある、阿部正弘公石像
南参道からの境内入口
南参道にある「宮本武蔵腰掛石」 南参道に建つ明神鳥居
神馬殿 南参道の様子
南参道・旧阿部神社神門 旧阿部神社社号標
南参道・旧阿部神社神門前に鎮座する建立年代不明の狛犬
建立年代不明とはいっても、十中八九平成の建立と思われ、分類状は出雲丹後広島バージョンとでも名付けたら良いのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
南参道入口
福山城公園内、神社脇に咲く桜 福山城公園から見える福山城天守閣