高諸(たかもろ)神社

福山市今津町6-15-10 (令和2年4月6日)

東経133度14分48.68秒、北緯34度26分41.72秒に鎮座。

この神社は、JR山陽本線・松永駅の西1.3km程の辺り、今津町の街中に鎮座しております。

御祭神 須佐之男命・劔比古神

由緒
延喜式(公家法制の書・全巻50巻)に旧沼隈郡内で三座の一つとして挙げられ全国でも数少ない格式の高い延喜式式内社である。
中古には劔大明神と称され「水野記」によると神辺城主忠興が古志豊清を攻めた際に炎上し天文14年(1545)に豊清が再興した。また、承応3年(1654)には福山城主水野美作守が社殿を再建した。現在の社殿は大正2年(1913)に再建したものである。明治に至り旧称の高諸神社に社名を復す。

伝承
天武天皇白鳳5年(676)新羅王子が戦乱を避けて日本に向かう途中台風に遭難、今津の海辺に漂着した。
今津の庄司田盛が新羅王子を助け西の山上に御殿を建て手厚く看病したが王子は翌年に歿す。次の年、庄司田盛の夢枕に新羅王子が現れ、『我は須佐之男命なり新羅の国王に降誕し日本を慕ってきた(祠を構え我が佩劔を祀れ)』と告げる。庄司田盛は早速この地にお宮を建て、劔大明神として祀った。
この佩劔が御神体であり高諸神社を『お劔さん』と呼ばれ今日まで1,330余年連綿と続いている。
境内由緒書き より。

参道入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化10年(1813)癸酉6月建立)

神橋

参道

拝殿

拝殿内部

本殿


王子神社鳥居

鳥居前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

王子神社社殿


荒神社

稲荷神社

お狐様

水神

水神を護る狛犬

田盛神社

末社