今伊勢内宮外宮

福山市神村町甲6002 (令和2年4月6日)

東経133度16分44.29秒、北緯34度27分14.47秒に鎮座。

この神社は、JR山陽本線・松永駅の東北東2km程の辺り、神村町の街外れ、山陽本線南側山の斜面に鎮座しております。

御祭神 天照皇大神・豊受皇大神

由緒
崇神天皇御宇、豊鍬入姫命が天照皇大神を名方浜宮に四年斎き祀る。その旧跡に当宮が鎮座し、この山を鏡山(御神鏡に因む)、この地を神村と称す。「今伊勢神明縁起」によると、応永33年(1426)平朝臣太夫末次が伊勢に参宮し、七夜参籠すると霊夢があり、鳥居に五寸の青目石があるのを国へ持ち帰るべしとお告げがあった。泉州境水庄に帰り、同35年になって西国へ供奉すべしとの霊夢があった。そこで摂津、備前、備前、備中へ至るも何のしるしもなかったが、備後国沼隈郡神村庄の鏡山に至ると一足も進むことができなくなり、神慮に適う地として石を安置した。すると人々群集し、野気沼掃部守が社地を寄進し、同年2月に外宮を造り、正長2年(1429)4月に内宮を造営したという。文安2年(1445)神主荒木田平末次が願主となって領主杉原平朝臣政光が社殿を再興している。文明8年(1476、なお文明9年とする記もある)8月13日、火災に罹り、同10年11月に再建御遷宮が行われている。その後、明応7年(1498)、永正15年(1518)、永禄4年(1561)に社殿の再興修復があった。江戸時代には福山藩主水野氏の崇敬篤く、元和8年(1622)に内宮再興、寛永11年(1634)に外宮の修復が行われた。今の社殿は大正8年(1919)に造営された。昭和6年(1931)、県社に列格する。
境内由緒書き より。

国道2号線の反対側に立つ一の鳥居

神額

山陽本線伊勢宮踏切

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(安政4年(1857)丁巳8月建立)

外宮拝殿

拝殿内部

本殿


参道

内宮拝殿

本殿


多賀神社参道入口

参道

社殿


護国神社

恵美須神社

竈神社

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