八幡神社

福山市北本庄2-7-21 (令和2年4月6日)

東経133度21分02.19秒、北緯34度29分29.33秒に鎮座。

この神社は、JR福塩線・備後本庄駅の北東300m程の辺り、北本庄の街中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・比売大神

由緒
広島県神社誌には京都石清水八幡宮を社ノ丁に勧請していたが、天正8年(1580)堂坂山に社殿を造営し遷座した・・・と記されているが、誰がいつ勧請し、そして遷座させたのかは記載がない。村上正名氏は「城下町福山」の中で木之庄の本庄と題して、南北朝時代南朝年号正平8年(1353)に足利直冬が周防国(山口県)阿弥陀寺の社領荘園に木之庄を寄進している。ついで文明5年(1473)北野神社(北野天満宮)の社領に備後では唯一吉津庄が記載されている。戦国時代になってからはこの地を山手杉原氏が押領し、本庄八幡神社は木之庄北部に山城を構えた九日ヶ嶺(くにちがたお)城主杉原陸奥守が創建したと紹介している。足利直冬は当時中国探題と称し鞆大可島城を居城としていた。九日ヶ嶺城主杉原陸奥守だが、山手銀山城杉原氏の家系図には記載されていない。「杉原盛重」を書かれた立石定夫氏もその中で九日ヶ嶺城に杉原陸奥守がいたというが時代が明らかではない。また西備名区には本庄八幡宮の後ろに小祠があり先祖の平貞盛の霊を祀った「貞盛霊社」と称した。とあるので杉原一族により勧請されたものなのであろうと記されている。もう一つの疑問は祀られている祭神だ。石清水八幡宮から勧請したのであれば宇佐の八幡神であるから応神天皇、神功皇后、そして比売大神(ひめのおおかみ)の三柱であるはずで比売大神は宗像三女神とされている。ここ本庄八幡神社の祭神は宗像三女神のみが神社誌に記載されている。応神天皇と神功皇后はどうしたのだろうか。山手杉原氏の創祀は間違いないと思うが伝承はかなりあやふやになっているようだ。
ぶらり備後 より。

参道入口

鳥居

注連柱

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(嘉永5年(1852)壬子8月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

福山城