宮崎神社

安芸高田市吉田町相合261 (令和2年4月3日)

東経132度41分46.65秒、北緯34度40分10.89秒に鎮座。

この神社は、安芸高田市役所の北西1km程の辺り、吉田町相合の街外れに鎮座しております。

御祭神 誉田別命

由緒
郡山城四代の城主、毛利師親(後に元春)が、1350(観応年間)年頃相模国宮崎より勧請した八幡宮で、毛利氏の氏神として崇敬された。
社は1523(大永3)年元綱反乱のとき兵火で焼かれ、また、1541(天文10)年1月13日毛利・尼子の郡山合戦のとき尼子の陣地となって激戦が行われたが、1568(永禄11)年毛利元就によって再建、その後も毛利氏により修理再造された。
師親が石見国佐波善四郎を攻めるため先陣をうけ、江の川を渡ったとき鐙石の奇瑞で大功をたて、当社を勧請する由縁となったという。鐙石は「川通り餅由来の石」として有名で、社宝として今に伝えられている。
境内由緒書き より。

相模国宮崎の八幡宮とは平塚八幡宮のことか?

参道入口

神額

境内

社殿

社殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)9月吉日建立)