村主八幡神社

利根郡みなかみ町上津(平成19年5月26日)

この神社は17号線と291号線と交差する上津大原の交差点より、南西へ200m程の辺りでしょうか。深い杜に囲まれて鎮座しております。地元の人に「すぐろの森神社」として親しまれているようです。「村主」を辞書で引くと《「すぐり」とも。古代朝鮮語で村長の意という》古代の姓(かばね)の一。多く渡来人系の氏族に与えられた。大辞泉
古い時代、渡来人がこの地を開いたのでしょうか。由緒書きはこちら。

神社入り口と社号標。

拝殿と本殿。

この舞台で太々神楽が演じられるようです。

境内の末社。明治42年27社も合祀したようなので、探せばもっと有るかも知れません。

村主八幡神社で検索すると、この御神木か太々神楽の事しかヒットしません。神社よりこの大楠の方が有名なようです。

若宮塚

 室町時代の中ごろ、この地方の長者の家に如意姫といふ美しい娘があった。姫は、その美貌と歌の才によって都に召され、小桜(こざくら)の内侍(ないし)と呼ばれた。姫は後花園帝の寵愛を一身に受けたが、後宮の女たちの妬みによって都を追はれ、御子(みこ)を宿したまま故郷へ帰った。御子の明賢親王が生まれてまもないころ、都から「石の袋」を題に歌を求めて来た。姫は御子のたどたどしく口にした「いさご」の言葉から、機知に富んだ歌を送った。  勅なれば石の袋も縫ふべきに、砂(いさご)の糸を縒りて給はれ (帝の求めなら石の袋も縫ひませうが、ならばその前に砂で縒った糸をお与へください)  御子は二才で病死し、若宮塚に葬られたという。