館林市代官町(平成18年6月7日)
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、前橋館林線を前橋方面に向かい、西本町信号を右折、第一小の近くです。鳥居には、竹に取り付けられたしめ縄が張ってありました。拝殿の前に、文化13年、昭和3年の狛犬が迎えてくれます。本殿脇の織姫神社は、年代不明の狛犬が守っています。
この長良神社とは藤原長良公を祭った館林総鎮守の神社で、貞観12年(870)の創建と伝えられています。御祭神の藤原長良公とは、清和天皇の女御でありながら、在原業平との恋愛で有名な高子の父親で、人臣初の摂政となり藤原北家繁栄の礎となった藤原良房のお兄さんでもあります。東国平治のためこの地に下向し、常に民衆を哀れみ、病を癒し、貧を救い、人徳を施した、徳の高い方だったようです。享保5年(1720)には正一位長良大明神を賜り、明治6年に現社名に改称しました。
その藤原長良公がこの地で御祭神になった逸話は、千代田町の民話として残っています。それは
「昔、赤岩には大きな沼があって、沼には主の大蛇が住みついて、毎年娘たちをさらって行きました。困っていた村人達はその頃丁度都から桐生にきていた弓の名人・藤原長良という人に退治をお願いしました。
長良は村人達の話を聞くと早速赤岩に行き、自慢の弓矢で大蛇の眼を射、見事仕止めることに成功しました。その大蛇の死体をさらわれた娘の数に合わせて十八に切って近隣の村々に分け、娘の冥福と長良の偉業をたたえる為、やがて千代田町の瀬戸井を中心に十八社の長良神社が鎮座するようになりました。」という伝承です。(「ふるさとの民話 館林」参照)
由緒、合祀神などの詳細については下記写真でどうぞ。