竹生島(ちくぶしま)神社

館林市本町3-8-6 (令和6年10月11日)

東経139度32分28.53秒、北緯36度14分31.06秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東武鉄道・館林駅の東800m程の辺り、本町の街中に鎮座しております。

御祭神 市杵島姫命

由緒
天正18年(1590)榊原康政公は、十万石の領主として館林に入城すると間もなく、城下町の南に接する今の本町三丁目付近の開拓、さらにその南方新宿方面に連絡する大通りの新設などを、検断職青山出雲、小寺丹後両氏に命じた。その結果慶長2年(1597)には城下町を縦貫する大通りが完成。両名はこれらの功によって、江戸口門外に給田地を与えられ附近はたちまちのうちに商家軒を並べるという活況を呈した。そこで両検断は協議の末、古くから住民が信仰していた弁才天を鶴生田川北岸の大通り付近に建立した。ところが年月を経ると人家が増え、境内も手狭になったので、東方に当たる城沼つづきの池水に囲まれた現在地に移し、浮島弁天と称した。・・・・中略・・・・
明治元年(1868)神仏混交の禁令によって、弁才天は仏であるため、鎮守とすることができなくなり、やむなく検断青山四郎二は戎屋が近江國の商人で、毎年業務見回りに来舘する同店主人に依頼。翌2年同國琵琶湖北部に鎮座する竹生島神社(市杵島姫命)を勧請した。明治6年(1873)11月谷越村(俗称田町・荒宿)鎮守として村社に列せられ崇敬された。・・・・・・後略・・・・・・
境内由緒書き より。

神社入口

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

神額