赤城神社

館林市足次町494 (平成24年11月24日)

東経139度32分03.85秒、北緯36度15分59.01秒に鎮座。

この神社は、東武鉄道佐野線・渡瀬駅の北西1km程の辺り、水田に囲まれた足次町に鎮座しております。長い参道は緑に覆われ静かで落ち着いた神社となっております。

御祭神 大己貴命・豊城入彦命

赤城神社の由緒
往古の渡良瀬川東岸に鎮座する当社は、建仁二年(1202)新田義重が勢多三夜沢の赤城本宮より勧請し、新田氏代々の守護神としたと伝えられる。以来天保年間に総村中による修築、明治六年(1873)八ヶ村の郷社、同四十年(1907)同地内十二社の合祀、大正十年(1921)社務所の創築等により社叢を深める。戦後とだえた神楽も近年信仰の心が高まり、春秋の祭典には青年による囃も響き、赤城神社眷属のムカデ絵馬は、市文化財に指定され愈々内外の脚光を浴びる。ここに後々の弥栄を念して氏子総代相計り浄財を以ってこの碑を建立す。
境内由緒書き より

ムカデと梅樹絵馬
上部屋根形の絵馬で、筆者は北尾重光です。中央に大きく雄渾な筆致でムカデを描き、右側に梅樹が上部に向かって枝を延ばしている様子を極彩色で描いています。
左上部には「處願成就」、左中央に「天保十一歳庚子二月」その下に「館林 宮杉某」、右側に下に「紅翠□館林住人北尾重光筆」と墨書され、天保十一年(1840二月宮杉某なる人が諸願成就を願って赤城神社に奉納したものと考えられます。
ムカデは赤城の神の眷属といわれ、梅は子授けや安産祈願によく描かれたものといい、ムカデと赤城神社の係わりや、当時の人々の信仰の様子を知る上で貴重な資料です。

千匹ムカデ絵馬
上部屋根形の絵馬で、筆者、制作年代とも不詳です。薄赤色に彩色した小さな数多くのムカデを前面に、その上部に青い松を描き、中央上部には「奉納」と墨書されています。
この絵馬は、赤城神社の氏子が、ムカデの精霊にあやかって、諸祈願をし、赤城神社に奉納したものと考えられています。
ムカデは赤城の神の眷属で、赤城神社の氏子はムカデを大切にするといわれ、庶民信仰の様子と赤城神社とムカデの係わりを示す資料として重要です。
館林市教育委員会 境内由緒書き等はこちら。

参道入口

参道と鳥居

境内

拝殿

ギョロ目とユニークな表情の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

向拝の龍

拝殿内部

本殿覆屋

本殿

左側面

右側面

裏面

赤城の神の眷属「ムカデ」

左右の木鼻

西の稲荷 東の稲荷

三峯神社

大神宮

雷電神社

奥の院

出羽三山碑