於菊稲荷神社

高崎市新町247(平成19年3月4日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、中島新町線を藤岡方面に向かい、右に少し入ります。新町第一小学校の隣です。文政6年の狐さんが迎えてくれました。拝殿の前には、年代不明の狛犬さんと明治11年の狐さんです。水屋が市の文化財に指定されています。水鉢の下では、狛犬が遊んでいました。

 由来記によると、「もとは普通の「稲荷神社」でした。戦国時代(天正10年)神流川合戦の際、白いキツネが現れ北条氏が勝利を収めました。この御神得に感謝して、この地に社を構えたと伝えられています。
 この稲荷が「於菊稲荷」と名付けられたのは江戸時代です。宝暦年間、宿場町となった新町に「於菊」という名の美しい娘がおりましたが、医者からも見放されるような重病にかかり、悩み苦しんだ末、この「稲荷神社」に救いを求めました。深く深く信心を続けたところ、不思議に病はすっかり治りました。その後、於菊は夢で「今後は人々の為に尽くすように」とのお告げを受け、稲荷神社の巫女となり、作物の出来具合や人の吉凶、なくし物のありかまでさまざまな事を言い当てました。ここから「困ったことがあったら於菊に聞け、稲荷の於菊に聞け」と言われるようになり、誰いうともなく「於菊稲荷」と呼ぶようになりました。」とあります。
 祭礼日:年末〜1/10・大祓神事・胎内くぐり神事、1月8日・福だるま市、4月8日・春祭り、12月15日・屋敷祭、12月28日・松市
(於菊稲荷神社公式HPより)

神社入口 参道の稲荷鳥居の行列
文政6年(1823)生まれの優しいお狐様です。
(文政6年(1823)2月吉日建立)
年代不明の蹲る狛犬。ツルツル頭から一転して長い眉毛が目を覆い、横に広がる小鼻に架かっています。尖った顎には短めの髭が生え、大きく反り返ったりたなびいたりしている鬣は、かなり長めで派手な造りとなっています。身体には筋肉の瘤が沢山あり、尾はいくつかの塊となり背中に張り付いています。
明治11年生まれ、子連れのお狐様。狐さんが子供を連れているのも珍しいけれど、尚かつ阿吽共に子連れというのは未だ4・5対しか見たことがありません。耳の大きい狐さんですね。
(明治11年建立)
社殿 神楽殿
入母屋造瓦葺の水屋は
市の文化財に指定されています。
文政6年(1823)、新町の人々の
浄財により建造されました。
水屋に施された菊の花の彫刻
水鉢
水鉢正面に深刻された『冰香』の文字は、寛政の四大詩人「大窪 詩仏」の文字です。文政9年(1826)に奉納されました。その水鉢の下には二匹の狛犬が仲良く遊んでいます。こんな構成は始めてみました。凛々しい顔つきで均整のとれた、とても出来の良い狛犬です。