抜鉾大明神

高崎市宮沢町(平成19年7月8日)

この神社は154号線を北上して行くと、道がヘアピンカーブになっている正面に宮沢区住民センターがあります。そのすぐ右手に見える石段が神社の参道です。

上野国一之宮として有名な貫前神社ですが、明治政府によって名称と御祭神が変えられたようです。江戸時代は抜鉾神社。

「神道集」巻第七。上野国一宮事
抑上野国一宮抜鉾大明神申ハ、人王廿八代安閑天王御時、我国ヘ来給ヘリ、此帝御宇乙卯年三月中半ノ比、上野信濃境ナル笹岡山ニ鉾ヲ逆ニ立テ御在ス、或伝ニハ阿育大王ノ姫君、倶那羅太子ノ御妹也云々・・・・

明治政府にとってインドのアショカ王の姫君が御祭神では具合が悪かったのでしょう。

この神社の御祭神が書き換えられなかったのは、杜の中にひっそりと鎮座しているので、きっと見落としてしまったのでしょう。

参道入り口。右手の看板には「ゴミの不法投棄は6ヶ月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処す」と書いてあります。要するにそのような場所です。

拝殿。

拝殿より伺う本殿。

境内の末社。