車持神社

高崎市十文字町(平成19年7月8日)

この神社は周りに適当な目標が有りません。やや離れていますが、十文字公民館の北100m程でしょうか。

由緒書が無く、詳細は不明です。しかし

豊城入彦命(とよきいりびこのみこと、生没年不詳)は、記紀に伝えられる古墳時代の皇族(王族)。豊城命、豊木入日子命とも。崇神天皇の第1皇子。母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)。垂仁天皇の異母兄、豊鍬入姫命の同母兄。上毛野君・下毛野君の始祖にあたると記紀にある。『日本書紀』によると、崇神天皇48年(紀元前50年?)、命は崇神天皇の命を受け、東国に派遣されたとある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

豊城入彦命の後裔のなかに車持公の名があり、群馬の地名も車(くるま=久留末)に由来すると言う。群馬は現在県名ともなり「ぐんま」と読まれているが、『和名類聚抄』は「久留末(くるま)」と訓んでおり、又、最近まで群馬郡には久留馬村(榛名町東部)・車郷村(くるまさとむら)(箕郷町西部)が存在していた。「クルマ」が本来の名だったようです。

現在は高崎市ですが、前は群馬郡榛名町、その前は久留馬村。

かってこの群馬の地に勢力を築いた車持氏を祀った神社でしょうか。

恋しくば来てもみよかしかみつけの久留馬の里の白岩の山
在原業平

拝殿と本殿。

境内の末社と御獄山座王大権現の碑。