八幡宮

高崎市八幡町(平成19年7月8日)

住所が八幡(やわた)。地図を見ると、周りには八幡幼稚園、八幡小学校、八幡中学校、八幡集会所、八幡商工会館等々八幡が目白押しです。

天徳元年(957年)京都石清水八幡宮を勧請す。当社は古来一国一社の八幡宮として広く尊崇され、永承年間、源頼義、義家奥州征伐のさい、戦勝を祈願し社殿を改修、頼朝また社殿を改修し、神田百町を寄進す。ついて新田、足利、武田、豊臣等の崇敬あつく、徳川幕府は朱印地百石を寄進す。明治維新まで別当神徳寺ほか社僧、社家あわせて24家による神仏混淆の神事を執行す。維新後、神仏分離となり郷社に列せられ、大戦後は宗教法人の神社となり今日に至っている。(境内由緒書きより)

地図を見るとすぐ右手に大聖護国寺があります。かって碓氷八幡宮と呼ばれていた時、別当寺であり、五代将軍徳川綱吉の時代、亮賢僧正を招き開山したのが東京都文京区の護国寺だということです。勿論その生母、桂昌院の発願によるものです。綱吉公が館林城主だった時、帰依したかと思われます。

生類憐れみの令発布の原因を作ったと言われるのは、真言宗護持院の開山「隆光」(りゅうこう)。誤解らしいが、桂昌院という人は随分と迷信深い方だったようです。洛北を旅すると桂昌院寄進の何々・・・と言うのが結構あります。どうも京都・奈良の寺社再建を綱吉・桂昌院親子に奨めたのはこの隆光で、幕府の財政悪化の一端を担いでしまったことは事実らしい。

国道18号線、八幡大門の交差点を北に曲がると一の鳥居が見えてきます。

鳥居を潜り500m程進むと、正面に随身門が見えてきます。

随身門を潜り、石段上の二の鳥居と境内入り口に建つ随身門。

神仏混淆の雰囲気を残す拝殿。拡大写真はこちら。

多彩な彫刻で飾られた本殿。

脇障子で遊ぶ狛犬達。

本殿裏に並ぶ末社。

本殿左手に建つ疫斎神。

境内左手奥に鎮座する地主稲荷社。

山王宮日枝神社

旧本地堂、元天満宮。

天満宮本殿。でも開けると八幡大菩薩が出てくるかも。

神社には珍しい鐘楼。