若伊香保神社

渋川市有馬1549(平成22年7月10日)

東経138度59分54.85秒、北緯36度27分46.86秒に鎮座。

 この神社は茂沢ダムの南東約650mに鎮座しています。神社入口と並んで嘗ての神護寺・泰叟寺の入口があります。
 参道入口には「村社若伊香保神社」と書かれた社号標、注連柱、台輪鳥居が立ち、右手は大岩がゴロゴロと積まれています。参道突き当たりには青面金剛が置かれ、90度右に曲がった参道は見上げるばかりの石段参道となります。石段参道途中には「正一位若加保大明神」の額が掛かった二の台輪鳥居が立ち、後30段ほどで境内に行き着きます。
 境内に上がるとすぐに「若加保神社」と書かれた額を掲げた社殿が建ち、社殿左には注連縄が張られた子種石があります。又、境内左右や南参道には多数の末社、庚申塔、青面金剛、石尊大権現等が点在しています。

 御祭神:大名牟遅命、少彦名命、建御名方命
 祭礼日:4月12日、10月9日
 境内社:多数
 由緒:有馬の里は、遠く奈良時代以前に已に上毛野氏の名族阿利真の公の拠所として、古代文化の花が開いた地であり、また、官立牧場有馬の牧の所在地として富み栄えた所である。榛名山麓に開拓の鍬を進めた古い歴史の曙から、父祖何十代にわたり守護し来った産土神が、大名牟遅命、少彦名命を併せ祀る若伊香保神社である。
 今を去る一千百年の昔、第五十六代清和天皇の貞観5年10月17日、それまでは正六位であった神格から、従五位下を授けられたことが、「三代実録」に明らかである。以て由緒の古く尊厳であることがわかる。17年後の元慶4年10月14日、正五位上を授けられ、又、600年前に記された「神道集」にも有馬鎮座の神としてその縁起を伝える。
 中世には、「上野国五の宮」と証され、県下神社中の第五位に置かれ、惣社明神相殿十柱の一となり、正一位を与えられた。然るにこの名社も江戸時代より衰微し始め災厄に遭うこと一再ならず。なかでも安政4年4月8日、全焼以後はその位置も移され、往時の荘厳見るべくもなかった。
 明治43年に至り諏訪社を合併したが、昭和22年の台風により社殿が倒壊。仍て翌23年に18万円の浄財を以て原(現?)位置に新築し、更に昭和44年屋根を葺き替え、鳥居を再建した。…後略…

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社頭
社号標「村社若伊香保神社」と注連柱、台輪鳥居
参道突き当たりに祀られる
青面金剛像
石段参道の様子
石段参道途中に建つ二の台輪鳥居 鳥居に架かる額
「正一位若加保大明神」
鳥居後ろの石段参道
境内入口
社殿と社額「若加保神社」
社殿左にある子種石 庚申塔と末社
末社 庚申塔
末社と青面金剛碑 若加保大明神石碑
昭和22年9月15日の台風による山津波で
全壊した旧社殿跡に建てられた石碑
石尊大権現、青面王、庚申塔 天満大自在天神、庚申塔
青面金剛王、庚申塔、青面金剛王 石仏
末社 庚申塔、末社