渋川市上白井1063(平成22年5月29日)
東経139度2分28.91秒、北緯36度33分54.68秒に鎮座。
この神社は17号線・暮沢バス停のすぐ北に鎮座しています。入口には市指定史跡・芭蕉霊神塚があり、俳聖・松尾芭蕉も神になっていたのかとビックリさせられました。これは高さ133cm、幅69cmの芭蕉句碑で、真ん中に「芭蕉霊神」とあり、その両側に「馬遠曽幣詠類雪能阿志多可難(馬をさへながむる雪のあしたかな)」と刻まれています。当地の俳人後藤錦秋、生方可交ら玉ヶ岡連中が、安政3年(1856)ごろ建立したものです。この句碑のそばに、多伝園三世生方可交は「花の雪積むや可た免で玉ヶ岡
可交」と自碑を建立しています。
坂道の参道突き当たりに一の鳥居が立ち、境内は右側に造られています。草原の中に石畳の参道が付けられ、奥に上の境内へと上がる石段があります。その石段参道脇には昭和5年生まれの尾流狛犬がいて、素朴で親しみやすい雰囲気で出迎えてくれました。上の境内には向拝のない入母屋造りの拝殿、本殿鞘堂があり、拝殿入り口から本殿正面が見えます。本殿は一間社流造りで、彫刻が多く、建築年代は19世紀末だそうです。
その他、上下境内には沢山の末社や、青面金剛像等の石碑・石像が祀られています。
由緒にこの社の氏子さんは28戸と書かれていますが、よくこれだけの神社の維持管理をなさっているものと、感心させられました。素晴らしい崇敬心です。
主祭神:活玉依姫命、合神:宇迦御魂命、菅原道真
祭礼日:4月16日、10月9日
境内社:多数
由緒:活玉依姫命を主祭神に宇迦御魂命、菅原道真を合神として上白井南谷に鎮座する当社は、明治初年村社に列せられ、御神体は玉石である。鎌倉時代の上野国神明帳群馬郡の項に「正五位玉山明神」とあり、後背の櫃山(浅間山)に神社名義の山林を保持し、境内地を玉が岡と呼んでいるのはこの社号による。平安末期都を追われた藤原栄房・国房兄弟が流浪の果てこの地に足を留め、祀っていた屋敷神を勧請したとの由来があり、日暮れもとであったため、暮沢と名づけて定住、後藤家の先祖となる。今より約650年前の南北朝時代新田氏の一族が隣地に来て、その援助で社運も隆盛となった。本殿は一間社流造りで、彫刻が多く、建築年代は19世紀末である。神仏混淆時は滝沢寺(廃寺)と境内を同じくして、舞台・芝居道具もあった。…中略…氏子は上白井上組区28戸、例祭日は4月16日、10月9日である。
社頭 | |
社号標 「村社玉山神社入口」 |
参道突き当たりに立つ一の鳥居 |
参道入口にある市指定史跡・芭蕉霊神塚
境内入口 | |
下の境内の様子 | |
下の境内に立つ二の鳥居 | 二の鳥居に架かる額 「正五位玉山神社」 |
上の境内へと上がる石段脇にいる昭和5年生まれの狛犬 尾流ですが、素朴で親しみやすい雰囲気の狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和5年(1930)9月7日建立) |
上の境内へと上がる石段参道 | |
拝殿 | |
本殿正面と本殿鞘堂 | |
下の境内の末社群 | 下の境内の末社 |
遷座記念碑 | 上の境内の末社群 |
青面金剛像 | 石像 |
道祖神 | 庚申塔 |