神明宮

渋川市白井(平成22年5月22日)

東経139度00分56.75秒、北緯36度30分26.03秒に鎮座。

 この神社は白井城址の北西、白井宿西方に鎮座しています。表参道は旧宿場町で車の駐車が出来にくかったので、私達は白井城址に車を置いて、裏参道からの参拝となりました。白井城址の案内板から左手に見える三日月堀沿いに、大鋸屑チップが蒔かれた遊歩道を行くと木の階段があり、「左神明宮徒歩3分」の案内板が立っています。そこから「帯郭」ぞいに進むと突き当たり左に社殿が見えてきます。拝殿内に本殿が安置されたこじんまりとした社殿ですが、白井城址からの参拝は、木々の中を気持ちよく歩ける軽快な散歩道でした。

 御祭神:天照大御神
 祭礼日:4月15日、10月1日
 境内社:三社
 由緒:白井西方のこの地域は古くから伊勢神宮の御厨地で神明宮は白井宿住民の寄り所として信仰されてきました。
 江戸時代までの神仏混合時には「白井城三院」だった明蔵院が別当寺で、祭神は天照大御神、住職が祭事を取り仕切っていました。
 明蔵院は白井藩が廃藩になると次第に衰退し明治初期に廃寺になったようです。
 神明宮は氏子が守り続け、4月15日と10月1日には例祭が執り行われています。この下の町を宮元町ともいいます。

社頭
石段参道
境内の様子
拝殿
本殿
本殿鞘堂
末社 末社等
白井城址
台地上の尖端に築かれた平城(崖城)で、利根川と吾妻川を利用した要害堅固な悌郭式の砦城。鎌倉時代の康元元年(1256)に上野国守護上杉氏の家臣「長尾景照」が白井の庄を与えられてから、後の関東管領家・山内上杉氏の重臣・長尾景仲が本格的に築城したといわれ、山内上杉氏の重要拠点として機能していました。その後紆余曲折があり、最終的には、徳川家康の関東入封後、徳川譜代の本多氏が入城し、元和9(1623)年、廃城しました。
「白井城址案内板」拡大写真はこちらで
本丸の案内板から左手に見える三日月堀沿いに、大鋸屑チップが蒔かれた遊歩道を行くと木道があり、「左神明宮徒歩3分」の案内板が立っています。そこから「帯郭」ぞいに進むと突き当たり左に社殿が見えてきます。