子持神社

渋川市中郷2910(平成19年7月8日)

 この神社は関越道を渋川・伊香保ICで降り、17号線を北上、子持入口信号を左折。3kmほど先で子持神社の朱の大鳥居前に出るので、鳥居を潜って尚も1.1kmほど進むと神社入口の階段と社号標が建っています。鬱蒼とした木々の中、石段途中には目にも鮮やかな朱の両部鳥居が建ち、石段脇の大岩の上には石の祠が祀られています。落ち着いた佇まいの境内手前には万葉歌碑や神楽殿、正面奥に重厚な拝殿、祭神が女神である事を示す屋根の千木の先端が水平に切ってある流造の本殿が建ち、本殿右脇には御祭神の足形が残された「御足形石」が置かれています。神寂びた…という形容がピッタリの素晴らしい雰囲気の神社でした。又ここから2.5km程唐沢川ぞいの林道を北に向かうと、7号橋上のすぐ右側に、山腹にへばりつくように、ひっそりと奥の院が祀られています。奥の院から20m程北には子持山へのハイキングコース入口があり、ハイキングコースを100m程上がると林間左側に屏風岩が望め、その最下部には役の行者や稲荷大明神が祀られていました。

 御祭神:木花開夜姫命、配祀:邇邇芸命、猿田彦大神、蛭子命、天鈿女命、大山祇神、大己貴命、手力雄命、須佐之男命
 例祭日:5月1日(太々神楽等)
 由緒:創建は不詳ですが、崇神天皇(紀元前97〜30年)とも嵯峨天皇(809〜823)ともいわれています。日本武尊が蝦夷征伐の際、密かにこの山に籠もり、木花開夜姫命と七柱の大神を祀り、その加護により平定の業を遂げられたとも云われています。中世には上杉氏や小田原北条市、武田信玄などの崇敬を受けました。
 神社の案内にはこの様に書かれていますが、「神道集・巻第六 上野国児持山之事」には天明6年(1786)頃の児持明神の祭神は大己貴命とありますが、現在は木花開夜姫命が主祭神となり、大己貴命は配神となっています。いつ頃御祭神の交代が行われたのでしょうか?もっと丹念に調べれば面白いかも知れません。

神社入口から1.1kmも手前に建つ一の大鳥居
一の大鳥居傍の道ばたに祀られた子持大明神像?と仏様達
神社入口 社号標
階段の参道 参道脇の大岩上に祀られた末社
境内左側に祀られた末社 落ち着いた佇まいの境内の様子

万葉歌碑
「子持山 若楓の紅葉まで 
寝もと吾は思ふ 汝はあどか思う」
神楽殿
重厚な拝殿
流造の本殿
屋根の千木の先端が水平に切ってあり、これは祭神が女神である事を示します。
御祭神・御足形石
御祭神の足形
御足形石隣に置かれた石の社額
「正一位子持大明神」
御足形石奥にあった、私が「恐竜の足跡」と名付けた面白い石
古木の生い茂る境内の様子
我が子の健やかな成長を願う絵馬
奥の院入口
奥の院・社殿
屏風岩最下部に架かる太鼓橋 太鼓橋中央から見える朱の鳥居
鳥居に架かる「神変大菩薩」額と役の行者石像
屏風岩左下部に祀られた「稲荷大神」 霧に煙る屏風岩の全貌
車道最奥の駐車場の祭祀場 林道から見える唐沢川の清流