太田市世良田町1497(平成20年2月20日)
東経139度16分54.24秒、北緯36度15分52.19秒に鎮座。
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道354号線を高崎方面に向かい、世良田信号を右折した左側です。神社入口には大きな倉庫があり、お祭りで使われる屋台が保管されているようです。狛犬は居ませんでした。額殿には、縦3メートル、横3、7メートルの大きな額が保管されています。文政9年に建てられた芭蕉の句碑もありました。
御祭神:素戔鳴尊 他
例祭日:4月15日・春祭、7月第4土・日曜日・夏祭、10月15日・秋祭
境内社:永寿大明神、琴平神社、御嶽山神社、縁結神
由緒: 八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を勧請したとも伝える。これは世良田政義の娘と南朝の王子・尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
「永禄日記」(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、「天王祭ヲイタス」とあり、古くは「牛頭天王」を祀る天王社であった。江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と改称した。
当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。特に夏祭は「世良田祇園」として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに「世良田祇園」の伝統が受け継がれている。(境内案内板より)
神社入口 格式を感じさせる屋根付きの両部鳥居です。 |
屋台庫 |
拝殿 |
注連縄は本末の区別が無く、中央部が太い左綯い。 稲穂の様な五本の〆の子が珍しいですね。材質は何なのでしょう? |
宝暦6年(1756)造営の本殿 此処にも沢山の彫刻が施され、組木の造りも豪華です。 |
境内社:琴平神社 | 境内社:永寿大明神 |
境内社:縁結神 | 末社群 |
額殿 | 明治30年に奉納された巨大な献額 案内はこちらで |
巨大な献額を支える丸彫りの精緻な造りの狛犬達 |
市指定重要文化財・芭蕉句碑 しばらくは 花の色なる 月夜かな 「芭蕉の句碑」案内はこちらで |
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