長良神社

邑楽郡板倉町海老瀬(平成18年5月25日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、佐野古河線を古河方面に向かい、道路から右に少し入った本郷地区にあります。松安寺の反対側です。昭和15年の狛犬が居ました。
 私が持っている地図には、賀茂神社と載っていました。「海老瀬地区には、賀茂神社が2つあるんだ」と思い、訪ねる気になったのです。しかし、地図の記載が間違っていました。こんな事もあるのですねー。

 この神社は私の持っている地図にも賀茂神社と載っています。実際は「神社再建竣工記念碑」にもあるとおり、藤原長良公を御祭神とする「長良神社」です。
 この「長良」または「長柄」神社は西は太田市の古戸長良神社、北は邑楽町の中野長良神社、東は板倉町の下五箇長良神社、南は埼玉県羽生市の本川俣長良神社など主として利根川流域に計30社以上もあるようです。
 藤原長良公とは、清和天皇の女御でありながら、在原業平との恋愛で有名な高子の父親で、人臣初の摂政となり藤原北家繁栄の礎となった藤原良房のお兄さんでもあります。
 その藤原長良公がこの地で御祭神になった逸話は、千代田町の民話として残っています。それは
「昔、赤岩には大きな沼があって、沼には主の大蛇が住みついて、毎年娘たちをさらって行きました。困っていた村人達はその頃丁度都から桐生にきていた弓の名人・藤原長良という人に退治をお願いしました。 長良は村人達の話を聞くと早速赤岩に行き、自慢の弓矢で大蛇の眼を射、見事仕止めることに成功しました。その大蛇の死体をさらわれた娘の数に合わせて十八に切って近隣の村々に分け、娘の冥福と長良の偉業をたたえる為、やがて千代田町の瀬戸井を中心に十八社の長良神社が鎮座するようになりました。」という伝承です。(「ふるさとの民話 館林」参照)
 利根川流域に伝わる伝承でもあり、古くは最もおそれられたのが天災、洪水などで、おそらくは民話・伝承における「大蛇」は「洪水被害」と考えて良いのではないでしょうか。とすると、藤原長良公とこの地の関係が問題となりますが、国司として赴任していたのか、荘園でもあったのか、利根川の改修に務めたのか、履歴を調べてみましたが、今一つかめませんでした。

神社入口と奥に拝殿 拝殿内の様子と本殿正面
昭和15年生まれの狛犬。
全体にボリュウーム感があり、たっぷりと余ったお肉が太い足に垂れています。
上唇というのでしょうか、口の上が異様にふくらんでいます。愛嬌はありますが
面白い顔の狛犬です。私はこんな重量級の狛犬が大好きです。
(昭和15年建立)
伊勢参宮記念碑など板碑類