小泉神社

邑楽郡大泉町1丁目(平成18年9月20日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道354号線を西へ進み、大泉郵便局を右折、約300メートルで左折し、小泉城跡の手前です。目の大きな狛犬が居りました。昭和生まれというのは判ったのですが、何年なのかはっきりしません。本殿が町指定の文化財でした。境内の「社日稲荷」に「探湯神事」が伝わっていて、町の無形文化財に指定されています。

 由緒略記によると
 「由緒:創建は古く元慶7年(883)で、邑楽郡佐貫荘の荘官・佐貫弾正良綱の次男・築比地良基が、東国平治のおり、郷民にとても仁恵を施し、全ての産業開発に功績のあった藤原長良公を神霊としてお祀りしたのが始まりで、この社は長良明神と呼ばれていました。その後、延徳元年(1489)小泉城主・富岡主税介直光により社殿が再建されましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際、社殿旧記など全て焼失してしまいました。慶長16年(1611)当時の領主・杉山三右衛門により、本村宮原より西邑楽の総社として現在地に遷座されました。明治45年には下小泉の菅原神社を始め近隣の神社を合併して、総社小泉神社と改称しました。
 本殿は嘉永元年から安政元年にかけての造営で、拝殿、弊拝殿は明治10年に再建されました。
 御祭神:藤原長良公、菅原道真公、他22柱の神(抜粋)」
とあります。

神社入口 境内の様子
昭和生まれの目の大きな狛犬。阿は玉を、吽は子狛を連れています。
その子狛が親を見上げ、その足に自分の足を掛け必死にしがみついている様が何とも可愛く、
子が親に甘える様子を良く現しています。それにしても面白い狛犬です。
目が異様に大きく、何重にも同心円状に線が描かれ、耳は横に張りだし
、口の上に団子っ鼻がチョコンとついています。尾は岡崎しょうわと江戸流れを折衷した様な造りです。
石工さんが、創意工夫に苦慮し、如何に個性的な狛犬を造ろうとしたかが、ありありと見えてきます。
拝殿 拝殿の社額
拝殿・挙鼻の龍と木鼻の狛犬
彫刻が素晴らしい流造の本殿 本殿柱から虹梁にかけての龍の精緻な彫刻
本殿脇壁・中国故事の彫刻 境内社
末社とお札入れ


社日稲荷神社社殿



【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 9月24日、小泉神社(社日稲荷)の祭りに行ってきました。神楽も行われていました。探湯(くがたち)神事も見てきましたが、見物している位置からは、迫力がイマイチの写真しか撮れませんでした。

 「社日」とは、古代中国に由来しており、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日のことです。「社」とは土地の守護神又は土の神を意味し、「社日」はその土地の神に、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する意味合いがあります。
 大泉町の重要無形文化財に指定されている探湯神事は、社日稲荷神社の特殊神事で「湯加持(ゆかじ)行事」ともいわれ、神前に供えられている大釜の中で煮えたぎる熱湯に笹を浸し、それを全身に浴びる事により、神に誠意を誓ったうえで神託を仰ぐというもので、古くは人心の善悪を探るものだったようですが、今日では五穀豊穣、厄難除けなどを願う神事として受け継がれています。
 現在この探湯神事を行っている社は、全国で3社しか残っていないといわれる大変貴重な神事です。

例祭日当日の社殿の様子 探湯(くがたち)神事
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宮比神楽・天の岩戸隠れ
宮比神楽は神楽の祖・天鈿女命を大宮姫と呼ぶことから生まれた名称で、系統としては
里神楽と同一のものですが、もっと大衆的で分かりやすく親しみやすくなっており、
太田市、館林市、邑楽郡の神楽の多くがこの系統に属しているそうです。

狛犬と社殿彫刻の拡大写真はこちらで