稲荷神社

邑楽郡邑楽町篠塚(平成20年6月30日)

東経139度26分47.18秒、北緯36度14分18.19秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、赤岩足利線(152号線)を北上、坪谷信号を過ぎて間もなく、道路沿い右側です。最初は狛犬かと思った昭和31年の狐さんが迎えてくれました。狐さんは本殿の前にも見えます。拝殿前の水盤は、文政7年に奉納されたものです。

南北朝時代の正平二年(1347)新田義貞一族の武将細谷右馬助秀国はこの地に居住するにあたり丹後国与謝郡府中にある籠神社(伊勢神宮・豊受大神の本宮)から分霊を祭って鎮守とし、翌三年には籠宮山観音院泉福寺を建立して戦乱に散った一族家人の冥福を祈りました。以来籠宮神社と泉福寺は坪谷・水立・大黒中の教化と信仰の中心となり、江戸時代の安永二年(1773)正月には京都から伏見稲荷を泉福寺え勧請して豊民生活の守護神と仰ぎにぎやかな祭礼が行われて来ました。明治維新の神佛分離令によって稲荷神社は泉福寺から離れて西隣の籠神社に移され社屋は青年集会所となりました。昭和十三年に現在の社殿を新築して社号を稲荷神社とし奥殿に籠宮大明神と稲荷大明神を安置奉祭しました。昭和四十一年二月十一日泉福寺は消失しましたが神社は難をのがれ寺跡には現在の集会所が建設され古来より変わりなく坪谷・水立・大黒中の人々のふれあいの場となり伝統的文化と信仰が受け継がれています。
境内由緒書より。

神社入り口

確かに、何だか犬のような狐さんです。昭和31年建立。

拝殿

拝殿内部

文政7年に奉納の水盤