邑楽郡明和町川俣(平成18年6月19日)
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道122号線を東京方面に向かい、利根川の手前、左側の堤防下にあります。明治34年生まれの狛犬が、それぞれ2頭の子供と遊んでいます。拝殿に戦争の様子を描いた絵馬が架かっていました。明治28年の日付が見えますから、日清戦争かもしれません。
この神社の創建由緒はわかりません。ただ社号標に郷社とありますから、相当な格式のある神社だったと思われます。
全国にある淡島神社・粟島神社・淡路神社の総本社は和歌山市加太に鎮座しています。少彦名命、大己貴命、息長足姫命(神功皇后)を御祭神としています。
淡島大神については、社伝では、神功皇后が三韓出兵からの帰途、瀬戸内海で激しい嵐に遭った知己、神に祈りを捧げると、「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げがあり、その通りに船を進めると、加太の対岸の友ヶ島に着きました。神功皇后は、その島に祀られていた神に宝物を供え、その後、神功皇后の孫である仁徳天皇がこの地を訪れた際、対岸の加太に社を移し、社殿を建立した、とありますが、他に、淡島神は住吉神の妃神で、婦人病にかかったため淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てた、とする伝承もあり、婦人病、安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社となっています。
この淡島信仰が全国各地に広がりを見せるのは、江戸時代「淡島願人」と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、その神徳を説いて全国を行脚してからです。
神社入口と「郷社 粟嶋神社」社号標 | 竹藪と木々の間を通る良い雰囲気の参道 |
拝殿 | 拝殿の額「粟嶋大神」 |
体毛を表現した鑿跡が残っている、子だくさんの江戸狛犬。 ふくよかで優しげで仲の良さそうな家族です。 親の大きな手に愛情が込もっています。 |
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(明治34年建立) | |
明治28年奉納の絵馬。 日清戦争を描いたものと思われます。 |
拝殿の木鼻狛犬。 この狛犬も参道狛犬同様、良い出来をしています。 いつも感じるのですが、名棟梁と名石工さんは セットになって仕事をしているのでしょうかね〜。 |
本殿覆い屋 | 摂社。前方の碑に「食行身禄?」と ありますが、何の事でしょうか? ご存じの方、お教えください。 |
末社群 | |
狛犬の拡大写真はこちらで![]() |