赤城神社

前橋市富士見町赤城山4-2 (平成19年5月27日)

東経139度11分12.1秒、北緯36度32分58.83秒に鎮座。

  この神社は赤城山頂大沼湖畔にある小鳥ケ島に鎮座しています。小暮交差点に建つ一の大鳥居から20km以上離れた山上の大沼湖畔に建つ神社は、赤城山と湖の神様をお祀りする神社で、雄壮な山なみは力強さを、四季おりおりの景色は、優しさと美しさをあらわし、古来より人々の守護神として祀られてきたということです。朱の欄干の架かる啄木鳥橋を渡って、小鳥ケ島へ渡ると誇り高き「延喜式内名神大社 赤城神社」と書かれた社号標と石鳥居が建ち、島の正面に見える大沼の対岸には、頂上までロープウェイのある地蔵岳が聳えています。石鳥居を潜ると参道は右に曲がり、奥が境内となっており、土産物屋、休憩所を過ぎると、赤い大きな拝殿と本殿が建っています。

 御祭神:赤城大明神、大国主神、磐筒男神、磐筒女神、經津主神、豐城入彦命
 相殿:徳川家康公、大山祇神
 御饌殿:大宣都比売神、保食神、豐受大神
 御酒殿:大物主命、豐受大神
 小沼宮・豐受神社:倉稻魂神、豐受大神
 境内社:伊邪那岐尊、伊邪那美尊、天照皇大神、月讀尊、素盞嗚尊、迦具土神、波邇夜須毘売神、波邇夜須毘古神、大土御祖神、天水分神、国水分神、高寵神、暗御津羽神、猿田彦命、大山祇神、木花咲夜姫神、市杵嶋姫神、建御名方神、御穗須須美神、速玉男神、事解男神、大雷神、久那斗神、譽田別尊、豊鉗入姫命、菅原道眞公、柿本人麿公、鎌倉權五郎景政公
 例祭日:1月1日・歳旦祭、2月17日・祈年祭、4月1日・献花祭、5月7日 ・清祓の神事、5月8日・山開き祭・例大祭、6月1日・神御衣の神事、6月30日・大祓、8月2日・夏祭、8月8日・湖水祭(沼神祭・沼鎮めの神事)、8月13日〜16日・祖霊祭(鎮魂祭)むかえ祭・おくり祭、10月1日・神御衣の神事、10月8日・秋祭、11月23日・新嘗祭・神無月祭、12月1日・師走大祓・道饗祭・鎮火祭
 由緒:大洞赤城神社の名で親しまれている赤城山の赤城神社、主祭神に赤城大神−赤城山と湖の神様−をおまつりする神社です。
  崇神天皇の御世−大和時代−に、皇子豊城入彦命が、上毛野国にいらしたおり、平和と安全を祈り、大国主命をおまつりしたと伝えられております。
  大同元年(806)、赤城神社は元の地より、大沼南の水辺に御遷宮されます。この年号に因み、大沼南端の土地を大洞となづけたのです。 古来、広く人々の厚い信仰をあつめ、「続日本紀」「三大実録」「延喜式」を始め「神道集」他上毛野国の諸誌に載せられ、正一位に叙せられております。
  神仏習合期には、赤城大明神をおまつりする神社として、その御神徳を広めてまいりました。特に江戸時代に至り、相殿に徳川家康公をおまつりし将軍家を始め大名の信仰厚く、三代将軍家光公は寛永19年に、前年火災で焼失した社殿の再建を命じられました。また、歴代厩橋(うまやばし−前橋)城主は、自ら大祭に御参列され、五穀豊穣と無病息災の祈願をされております。
  厩橋城内を始め各地に分社が勧請されています。また、赤城山登山口八ヶ所に設けられた鳥居は、当時の村人たちにより奉納されたものです。 この頃、神祗伯白川家より「上毛野国総社大洞赤城神社」、吉田家より「正一位赤城大神宮」の額が奉納されています。
  明治20〜43年の間に、小沼端の豊受神社、小鳥ヶ島の厳島神社、黒桧山頂高於神神社を始め、県内22社を各社の請願により合併しました。
  昭和19年、三夜沢の赤城神社で起きた神社の社格昇格運動は、(大洞)赤城山・三夜沢・ニの宮三社の赤城神社を一社とみなし、国幣中社に昇格するという内示を賜わりましたが、実現をみずに終戦をむかえました。
  寛永19年(1643)徳川家光公の命により再建された社殿は、320年以上の厳しい赤城山の気候により荒廃したため昭和45年に、小鳥ヶ島に移し再建されました。(由緒書より)

34号線と4号線の交差する
小暮交差点に建つ一の大鳥居
今は麓の小暮神社に建つ
旧赤城神社大鳥居
神社遠景
大沼に架かる神橋(啄木鳥橋)入口
大沼の対岸には地蔵岳が聳えています。
社号標
「延喜式内名神大社 赤城神社」
神社入口
参道の様子 大きな拝殿
拝殿内の様子 本殿
大沼に棲息する緋鯉 絵馬は雅な平安朝の女官です

赤城神社の公式サイトはこちら。